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★ 「西国33観音霊場」を訪ねて



◎「義輝」の西国観音霊場巡り


・26,4,13 満願いたしました。

   
12日(土)に和歌山行きの深夜バスに乗って、和泉中央駅に13日(日)の朝7時に着きました。そこで軽めの朝食をとり、タクシーにて槙尾山入り口に到着。これから山を登ります。   しばらく上ったところに山門があるのですが、桜がまだきれいに咲いていました。品種はちょっとわからなかったのですが・・・・・。
   
 息子はちょっと疲れた程度で軽々と登ってきたのですが、  私はというとちょっと情けないほど、足を痛めてしまったようです。下るときには、ももとふくらはぎの血管が痛くて、どうやら軽い肉離れを起こしてしまったようです。
   
息子がどうしても満願したいと、残りの寺、箕面にある「勝尾寺」に電車を乗り換え、駅からタクシーで昼頃到着しました。ここの桜も見事で、また、違った種類の桜が咲き誇っておりました。   この子はうちの子ではありませんが、なにやらうちの子が小さかった頃を彷彿させるようなお子さんでした。無事「入り鐘」もついて、おみくじも引いて、修学旅行では、清水寺で重ね印を押してもらうのが楽しみなのだそうです。がんばったね。・・・・・住職。





書写山、播州清水寺、紀三井寺、青岸渡寺遍

  25,8,24〜8,25

   
京都市内に宿を取り、新幹線で移動。雨の書写山にまいりました。   本尊前で、五体投地三禮で正式なお参りをしました。
   
 前日に住職と義輝は二人で、京都市内の床屋さんへ。東本願寺近くの床屋さんだったので、上手に剃っていただけました。  続いて、JR宝塚線の新三田駅からタクシーで往復。播州
清水寺」へ。
   
 ここでは、3回目にして初めて、根本中堂へお参りしました。御利益あるかな。  翌日25日、朝6時20分に宿を出て、車で高速をひた走り、9時過ぎに和歌山県和歌山市内の「紀三井寺」に到着。
   
 早速、御朱印を頂く。  ここからが大変なのだが、田辺市まで高速があるがその先はない。山の中をひた走り、1番札所の「青岸渡寺」に到着したのは、13時30分。
   
 早速、御朱印を頂く。  ここを14時30分に出て尾鷲方面から高速にのり、家に着いたのは、翌日の26日午前1時40分過ぎであった。息子は、風邪を引き、車内で熱を出し、翌日病院に行くなど、結構ハードな西国参りだった。自分自身も京都市内で病院にかかり、薬をもらい、女房殿も帰ってから熱を出すなど、夏の疲れが出てしまう旅であった。・・・・住職。


25.3.24から26日まで
   
今回は、3月24日(日)朝5時に家を車で出発して東名道、名古屋高速、名神、北陸道を経由して国道9号線を福井小浜方面に走り、大飯原発、高浜原発のあるところを横に見ながら
東舞鶴・松尾寺に到着した。 
 松尾寺到着、13:50。続いて「天橋立」のある「成相寺」に向かう。
 
 「成相寺」到着14:50。高速を使って、松尾寺から64kmのところにある。  朝4時頃起こされたので、道中、「お昼寝タイム」だった義輝。3時頃になると結構、疲れがたまってくるのである。
   
 本日最後の寺、京都府亀岡市にある「穴太寺」。  16:50に到着。これから京都市内に行き、今夜の宿とする。明日は、電車で廻る予定。
   
 地下鉄と阪急電車で大阪府茨木市にある「総持寺」に到着。駅に近くて駐車場の方から本堂に向かう。  お参りを済まし、納経所へ。実は、「善峯寺」のある「向日町」の駅を過ぎる急行電車に乗ってしまったため、「善峯寺」あらためて明日車で行くこととする。
   
 次にどこに行くか、迷った末に5番寺「葛井寺」に決める。電車の駅名は「藤井寺」阪急で梅田駅にまず行き、そこからJRの大阪駅まで歩き、大阪駅から環状線で「天王寺」駅、そこから歩いて近鉄大阪線の「阿部野橋」駅から「藤井寺」という、結構な移動をして到着。ここも駅から商店街を歩いてすぐにあるお寺。  ちょうどお昼時だったので、近くのお店で弁当を買い、お参りが終わってから食べようと計画した。お総菜屋さんの作る弁当で、食べ終わった後は弁当の入れ物を回収していただける約束までいただいた。
   
 500円台が中心で好きな総菜の弁当を食べられるので、息子も大満足。特別に、お寺の中のお茶屋さんでテーブルを使って食べさせていただいた。  藤井寺のお嬢さん。「MORI」さん。たくさんのお話をさせていただき、ありがとうございました。近くにおいでの際は、ぜひ、吉祥院にもお寄りくださいませ。
   
   
 3日目の朝、ホテルを朝5時30分に出て智積院の朝のお勤めに出席する。  写真は10月の時のものだが、現在、智積院会館は改修のため宿泊ができない。このときには、多くの参拝者が宿泊していた。
   
 金堂でのおつとめの後は、護摩殿に移動し、護摩供養。前回いったときには、修学旅行の生徒さんたちが200人近くもいて、入りきれないほどだった。 このときは、伝法かんじょうを受ける僧侶の方々でこのように たくさん出席しておりました。
   
 さて、26日、ホテルを車で出発して、昨日お参りできなかった「善峯寺」へ。道が細く車ですれ違えないくらいの場所もある。長岡京の近くにお寺はあります。 どれが「日本一の松」かというと、息子の後ろの桜の木の皿に後ろにトンネルのように横に伸びた枝になっているのが「日本一の松」だそうです。
 
   
 それよりもこの山門が私がすごく立派に思うのですが・・・・。  11時頃「善峯寺」を後にして、9号線を南下。9番寺「興福寺」南円堂を目指す。いつもなら正面駐車場に行き、歩くのだが今回は試しに裏から「南円堂」に直に行ってみることにする。
   
駐車場も近くにあり猿沢の池の近くに車を止めた。   私と女房と息子の分で私がここを訪れるのは3回目だが、何度来ても「南円堂」華やかな気分の中でもいやされる気持ちがする。用は「心地がよい」のである。
   
時刻は12時を過ぎ、おなかも少し減ってきたが、今日は、できれば奈良の後、和歌山県の3番寺「粉河寺」まで行きたいところ。甘味屋さんが近くにあったので猿沢の池を見ながらわらび餅と抹茶でエネルギーの補給をする。この時点ですでに13時になろうとしていた。   南円堂を出て一路7番寺「岡寺」を目指していたところすぐに渋滞にはまってしまった。天理市、桜井市を経て明日香村まで行かねばならないというのに。原因は昼食のために入った「三輪そうめんの山本」のレストランの女性にお聞きして初めてわかった。天理教の本部のある天理市は、26日が月並祭にあたり毎月、日本各地からご信者の方々が「お帰り」になるのだそう。しかも春のこの季節は大きな月並祭があるそうでかなりの方々がいらっしゃるのだそうです。一つ勉強になりました。余談ですが三輪そうめんの山本のレストランで食べた「にゅうめん」はお腹がすいていたことも手伝ってか、とってもおいしかったです。
   
岡寺の駐車場到着。14時40分。   このお寺に行くにはこの坂を上らないとつかないのです。
   
 そして、この鐘。三井寺の鐘と同じくらいいい音がするのです。  突かせていただけないお寺も多い中、ここではつくことができるお寺の貴重な1軒です。
   
 岡寺の本堂前にて。  ここから30分ほど走り、6番「壺阪寺」に到着。
   
 ここの仁王様も結構古く、迫力がある。  本堂の前には、ご愛敬の鬼たちがいる。三途の川を渡ったところ。
   
 千手観音様。八角堂の中にいらっしゃる。願いが叶いますように。  ここを15時30分に出発。途中ガソリンを入れて吉野方面に移動。そこから国道24号線をひた走り、一路和歌山県を目指す。
   
 途中橋本市、五條市を過ぎ、やっとの思いで16時50分に「粉河寺」に到着。自分たちのがんばりに花を添えるように「桜」が咲き誇っていた。  無事、御朱印をいただき、お参りを済ます。
   
それにしても立派な山門です。   この後、山を越え、紀の川市に入り阪和道、上條ICより高速に入り、近畿道、第2京阪、京滋道、名神、新名神、東名阪、伊勢湾岸道、東名、新東名を経由して東名、保土ヶ谷バイパス、首都高速を経由してアクアライン道で自宅には、27日朝6時に無事到着いたしました。残りのお寺は夏休みに実施予定。・・・・住職。
   





◎「義輝」の西国観音霊場巡り  24,10,22




   
息子得意の「入り鐘」です。今回は、車で朝、5時30分に家を出て、10時頃つきました滋賀県にある12番寺「岩間寺」です。  ここに来るときはいつも雨でしたが、今回は、よいお天気に恵まれました。
   
 偶然ご一緒させていただいた、習志野ナンバーの松戸市にお住まいの「宇都宮」ご夫妻。おみかんをいただきまして、大変おいしゅうございました。機会がありましたら、ぜひ、吉祥院にもお越しください。  続いて13番寺「石山寺」。前に来たときは、紫式部のお祭りがあったときでしたが、
   
 こんなキャラクターがまだ、入り口付近に残っていました。  山門前で写真を撮りましたが、脇には、おみやげを売るお店がぎっしり。女房殿は、滋賀県のキャラクター「彦にゃん」のミニタオルを購入していました。
   
 ここにも大津市のユルキャラが・・・・。  山内は、もう紅葉が始まっておりました。
   
 次に、訪れたのは、14番「圓城寺」別名「三井寺」。息子と山門の大きさを比べてください。  弁慶が引きずってきたと言われる大きな鐘。突くのに300円ほどかかります。その音はすばらしく、琵琶湖のほとりまで聞こえます。
   
 観音堂で線香を立て、お願い事をします。  甘酒やさんのおばちゃんと・・・・・。





   
1年前の9月にやって以来、久しぶりの「西国」です。今回は、京都市内だけですので、タクシーを時間で貸し切りにしてのお参りです。まずは、19番「行願寺」(革堂こうどう)から・・・。  ここのおばあちゃんには、いつも何かしらをいただきます。飴やらおにぎりやら、・・・。今回は、かっぱえびせんを頂戴してしまいました。いつもお優しくしていただいて、ありがとうございます。
   
 次に池坊で有名な華道家元のお寺18番「頂法寺」(六角堂)です。ここのところ、新聞紙面では、お母様の池坊保子氏が政界を引退するとかで、次女の美香氏が民主党から来年の参議院選挙に出馬なのだそうです。  そんな話題とは無縁のようにひっそりと静かな柳の枝が印象に残りました。
   
 次に訪れたのが、真言宗智山派のお寺17番「六波羅蜜寺」。ここのお寺は、空也が念仏を唱えたら、口から仏さんが現れた像であったり、平清盛公が関係するお寺だったりで有名です。  ちょうど今、修繕中でしたが、職員の方が優しく接してくれ、また、お菓子を頂戴してしまいました。ありがとうございました。
   
 次の訪れたのは、15番「観音寺(今熊野観音)」。空海像が優しく出迎えてくれました。  
   
 次に訪ねたのは、番外のお寺「元慶院」です。この山門をくぐると、  このように、よく手をかけてある庭が出現します。
   
 そして最後に、16番「清水寺」です。相変わらず、修学旅行生が多くて、参道は大変にぎわっていました。  山門にて・・・・。



◎「義輝」の西国観音霊場 詣り 
23,9,13

   
 運動会明けの11日、京都に来るまで移動し、翌日4:45に起床。本山にて朝のお勤めに参加する。朝の境内は昼間の暑さと違って、すがすがしい。  寺田能化の作法する中、読経が始まる。寺田能化、御年91歳。介添えが転ばぬように付きながら、登壇する。修行僧は、研修生はすでにいなく、加行中の専修学院生のみである。
   
 護摩殿にて、お護摩勤修。  いったん戻り、朝食を食べたあと、いよいよ帰りながらの西国開始。最初は、琵琶湖のほとり、近江八幡市にある31番札所「長命寺」である。今回お寺は3軒ほど詣るが、この3件すべてが階段がたくさんあるきついところである。ここの階段は880段。
   
 御朱印をいただく。  後ろに琵琶湖を望む。このお寺の高さがわかろう。
   
 続いて安土桃山城にほど近い32番寺「観音正寺」。いつもは表参道から登るのだが、今回は階段のある、裏参道に車を止め、ここからお寺を目指す。  天然の岩を敷き、作った階段を自転車を担いで登る方。入り口までも相当険しい坂をこいで登ってきてさらのこの階段。頭が下がります。
   
 境内に到着。私には出来ません。この方話を伺うと、四国を3回も自転車で廻れているそう。お名刺を渡し、今度私の寺までおいでくださいと招待する。  息子は若くて元気なので、すでにいり鐘をついて、私を出向かえる。後ろが観音正寺本堂。本尊は十一面千手観世音菩薩。
   
 車を走らせ、彦根に着き、昼飯の弁当を食べたあと、船で「竹生島(ちくぶじま)」に渡る。何カ所からか、船が出ているが、この時期は一日に四便冬場は土日のみ一日に二便となる。難所である。この寺に参るためには、相当計画をきちんとしないと、詣れません。  岸に着き、「琵琶湖就航の歌」の祈念碑の前で記念写真。ここも関所は階段である。断崖絶壁という言葉がぴったりの島。
   
 本堂の弁天様に「学業成就」をお願いする。  そしていつものかわら投げ。今回は、私は四枚中三枚通過。息子は残念ながら、四枚ともダメでした。結構難しい。皆さんもこの島に来たときに、挑戦してみてください。彦根港に到着して16:30.このあと名神高速で自宅に21:45に到着しました。・・・・住職。


◎「義輝」の西国観音霊場 詣り 23,6,1

   
 岐阜県にある 33番寺 谷汲山「華厳寺」に詣る。本来なら一番最後に納めに行くべきところだが、息子の場合は、行けるときにしか連れて行けないので、あえて、今回は順番は、無視することにする。こうやって書けば、時間のない皆さまにとっても行きやすいのではないでしょうか。  仏様の華nからわき出でる水。ここで手と口の中を清めてからお参りする。
   
 長い参道の後に長い階段。これはいつもと同じ。新緑の季節で、風が心地よい。  
   
 お参りした後で、本堂下の戒壇巡りを善通寺のように楽しむ。  翌日、京都市伏見区にある11番寺「醍醐寺」に行く。
   
 息子が見ていたのは、鎌倉時代の勉強で出てくる仁王像。運慶・大慶のものかはわかりませんが、ここのお寺のものも立派な仁王像。  この山門をくぐり、「伽藍(がらん)」等建物に向かう。ちなみに入山料はなく、建物によってここの場合は、拝観料金を支払うようになっている。つまり、たくさんのものを見ればそれだけお金がかかるようになってくる。ここは、ちなみに600円。それを払ってさらに御朱印料が300円かかる。駐車料金は700円。
   
 次に宇治市に向かい、10番寺「三室戸寺」に行く。ここは、お花が有名で後もう少しすれば、紫陽花が見頃となる。  夏は蓮の花が咲き、モリアオガエルの産卵も見られるようである。
   
 口の中にある玉をさわると幸運に恵まれるという、「勝ち運の丑」。   学業成就と皆さまの幸せを祈る。
   
「 三室戸寺」で終わりにしようと思ったのだが、もったいないので、奈良県桜井市に移動し、「法起院」(番外)と8番寺「長谷寺」に詣る。  
   
 「長谷寺」は、今、JRのコマーシャルでも出ている。  真言宗豊山派の本山でもある。「醍醐寺」は醍醐寺派の本山であるので、真言宗の二つの本山のお寺をはしごしたことになる。御利益があるかな。
   
 しかし、いつも感じるのだが、長谷寺はこれでもか、これでもかというほど、長い階段の回廊が続き、お参りする人を苦しめる。他の本山では、あまりないのだが・・・。この先にも二つの回廊が待っているのです。  彼女は納経所の職員の方。息子と私が歩いた回廊を毎日上り下りしているのだそう。「しんどいですけれどなれれば大丈夫ですよ。」との弁。私は出来たら、24番寺「中山寺」(中山寺派本山)のようにエスカレーターの寺もあるのですから、年寄りとか身体の不自由な方々にもお参りしやすいお寺がいいなあ、と思うのですが・・・・。
   
 コマーシャルにも出てくる舞台。きれいな山々が後方に見える。  お抹茶所がお寺の中にあったので、そこで一服する。このあと私は、名阪国道経由で450km運転して5時間かからず自宅に戻ることが出来ました。混まなくて良かった。・・・・・住職。




 
●女性だけでも行ける「西国観音」21,4,20開始。

・兵庫編 23,5,5から23,5,6 今回で満願です。

   
 今回は、姫路駅からスタートです。車で来るには、きついので、新幹線を使いました。神姫バスで11:30発「社(やしろ)」行きに乗り、「一乗寺」に向かいます。  出発は駅前のバスターミナル。出発5分前にならないと、乗ることが出来ません。本数は、一日に何本もないので、事前に時間を計算してからでないとタクシーしか足はありません。40分程度このバスで走り、「一乗寺前」で降ります。帰りは、13:02発「姫路駅」行きに乗って帰れます。
   
 私が一人で来たときには、まだ、このまわりは駐車場でした。  この階段を登ったところが御朱印所だったのですが、さらに上の建物の本堂は、そのときは、解体修理中だったようです。
   
 この方に説明を受けた後、そういえば、こんなに階段を登った記憶はなく、「圓教寺」と同じような建物の記憶もなく、「つまらない寺だな。」と思った記憶が・・・・。  事実、こんな景色は見た記憶がない。
   
   
 ついでに、こんなすばらしい天井は見たことがない。納札が木で打ってあるのです。ちょっと見ると、竹とんぼの羽のように見えます。太い柱には、画く釘の後が、在り、これは、解体修理の時に、納札を破がしたためだそうです。  このような虎の絵や絵解きものがかけられてある桟。
   
 姫路駅に14:00前に着き、新大阪に戻る。ここから福知山線に乗り換え、「三田(さんだ)」に行く。  一昨年、「書写山」に来たときに見た九州新幹線「さくら」。今回は乗ることが出来ました。
   
 室内は4列シートで落ち着いた感じです。  新大阪で「こうのとり」に乗り換え「三田」まで約40分。
   
 6月になるとこの485系のこの車両も新型の287系に変わります。  三田からはバスの便が悪いのでタクシー使い、往復しました。写真を撮り忘れたので、本から失敬。
   
   「こうのとり」の車内は、ちょっとレトロ。
   
   
 翌日、最後の寺である、宝塚にある「中山寺」に向かう。  山門を入ると両脇にお寺が何軒もある。
   
 この寺は、安産祈願で有名な寺で、子のない豊臣秀吉がお参りして子が出来たところから、大変子供がほしい方々に御利益がある寺として有名である。  それtろ、エスカレーターが用意されていて、何とも人に優しい寺である。ここで喜光院さんの奥さんの安産をお参りする。後で聞いたことだが、この寺で安産をお願いしている頃、ちょうど陣痛が始まって、15:55に無事、出産したそうである。何とも偶然とはいえ、やっぱり御利益が・・・。
   
 女房殿はここで満願。息子は、前日の寺から御朱印を始めたので、次回からは、「義輝」の西国とタイトルを替えて続きを致します。  お釈迦様の弟子「500羅漢」さんたちがいるお堂。
   
 見るものを圧巻とさせます。  隣のお堂には、閻魔様。
   
 女房殿もこれでめでたく先達となりました。次回はどの寺に行くのやら。  住職も、今回は運転手をしてないので、疲れは少ないのです。・・・・住職。




  
・京都市内編  23,3,29

   
17番「六波羅蜜寺」。ここには、空也上人が念仏を唱えると口から仏様が続いて出てきた、と言われる国宝の像があります。   18番「頂宝寺」。通称「六角堂」。後ろに六角堂が見えます。
   
 このお寺はお花の「池坊」が住職をするお寺で有名で、多くの人が願いを掛けにお参りをしています。  柳がきれいでここでも1枚ぱちり。
   
 線香を立てる香呂が3人の童子によって担ぎ上げられています。みんなその形が違うので写真に納めました。  
   
 19番「行願寺」通称「革堂(こうどう)」です。ここは比叡山に勤める「尼さん」の寺です。  尼さんというところがみそ。今回女房は、お坊さんになるため、京都を訪ねましたので先輩であるお坊さんにきっとお力を頂けたことでしょう。女性に優しい寺も多いのです。23,3,29
   
   

  滋賀・大阪編  22,6,13から22,6,14

約、1年ぶりの「西国巡礼」です。ここのところ、公私ともに時間がとれなくてなかなかお参りすることができませんでした。今にも雨が降り出しそうな空の元、 滋賀県安土町の「観音正寺」を訪ねました。車で山道をぐねぐねと登り、駐車場に止めたところからさらに600mほどあるいたところにお寺はあります。。
まずは入り鐘をつかせていただきます。 ちょうど何年か前に新しい本堂が建てられたことを記念したお参り期間に当たるそうで登り旗がたくさん建てられていました。
ここからの景色はすばらしく、新幹線の「ゴーッ」いう音が山にこだまして響きます。 いよいよ本堂にまいります。本尊は「千手千眼観世音菩薩」ですが写真は御法度で撮らせていただけません。
本堂の大黒柱の節目に梵字が書いてあったのでちょっと変わっていたので写真に納めさせていただきました。 2軒目は、滋賀県近江八幡市にある「長命寺」。ここの石段は見ての通り、大変なもの。大型観光バスで来られた方々は、下からこの階段を上がってくるのです。私たち乗用車で来たものはここからの階段。それでもこんなにも険しいのです。
お賽銭を投げ入れ、健康をお祈りします。 息子の義輝もおびんずる様に体の悪いところがはやく治るように祈ってくれました。
車を12番寺「岩間寺」滋賀県大津市に移動している内に土砂降りになりました。鐘突き堂にて鐘を打ち、 二人で落ちてこないかなと心配しながら写真に収まりました。
雨に煙る「岩間寺」本堂。 14日は、阪急電車にて移動。ここからタクシーで「勝応寺」大阪府箕面市に向かいます。
ここのお寺は「酒樽」と「勝ちだるま」を納めるので有名な寺でごらんの通りたくさんの奉納者のお名前とだるまさんがおります。 「勝応寺」本堂。
箕面から阪急電車宝塚線で「十三(じゅうそう)」に戻り、今度は阪急電車「京都線」で、「総持寺」に向かいます。駅を降り歩いて5分。近代的な建物が住宅街にあり、静かな受付で御朱印を頂きます。 本堂にお参りをして、また、阪急電車で京都方面に戻ります。
京都市西京区「善峯寺」山門。ここは、阪急電車で「東向日町」からタクシーで25分。山の中に向かってひた走り、やっとたどり着きます。 「善し峯寺」本堂。秋に紅葉のシーズンとなると狭い参道は車で身動きがとれなくなる寺で有名です。











 ・和歌山編

8月20日の18:30に家を出て、21日朝7:30にここ、「青岸渡寺」につきました。走行距離は700kmくらいなのですが、和歌山県は、とにかく、高速道路がほとんど通っていないのです。三重県の伊勢湾岸道路大宮インターをおりてから、ひたすら一般道を夜走って休みながら到着しました。ここは西国一番札所となります。 ここは、「那智の滝」もあり有名な場所。もちろん高い山の上にありますので、ここから下まで自転車で下るべく、息子と住職は、サイクリングスーツを着てのお参りです。
2番寺「紀三井寺」。ここに到着したのは、お昼ご飯を早めに食べての13:30。ここまで220km程走ります。もちろん、高速道路は、ほとんどなく、白浜近くになって、やっと田辺から高速と相成りました。ここは和歌山市にあります。 ここも小高い丘の上にあり、和歌山湾を一望できます。
3番寺「粉河寺」。ここは、23kmほど下道を走って到着です。前回お話しした副住職さんは、家と同じで夏休みでお留守でした。 境内のお茶さんで一服した後、いよいよ高野山へまいります。
泊まったところは、「西門院」。大きな団体さんも泊まることのできるお寺です。 ここの奥様の作るお料理は大変見た目の味もすばらしいものでした。高野山大学で講師もしてらっしゃるそうです。
彼は、同じ上総第3教区にお寺がある、職員の方。 家の息子の夜のお膳。
大人用の夜の膳。乗り切れないのだが、二の膳まである。 朝飯の膳。息子は、ご飯をよそうのを自分の役割とし、いつも行う。
「西門院」玄関。玄関も寺の顔の一つである。 高野山「奥の院」入り口。ここに、四国八八ヶ所霊場参りの納めの御朱印を頂きに来たのです。ここには、弘法大師空海の「廟所(びょうしょ)」お墓があります。
有名な人の墓や、各会社のお墓がたくさんここにはあります。ここは、ロケットを作った人の眠る墓があります。 木更津の銭湯に行くと、この「福助」が、『いらっしゃいませ。』という銭湯があるのです。
この様な会社のお墓がたくさんあり、きりがありません。 最後に、弘法大師様がお建てになった「金剛峯寺」をお参りし、高野山を後にしました。・・・21,8,22
奈良編 6番寺「壺阪寺」ご本尊は、千手千眼観音。 今回は、本堂前でパチリ。めがねは10月と11月にくぐれるようにおいてあるのだそうです。だから、今回は、なし。
7番寺「岡寺」もちろん鐘もつかせていただきました。ここは、鐘がつける数少ないお寺です。 8番寺「長谷寺」は、藤井寺の後にお参りしてあるので、ここで最後の奈良県のお寺になります。9番寺「興福寺」南円堂。幸せが来ますようにここでは、般若心経もお唱えしました。
鹿せんべいの匂いがすると、たちまち鹿がものすごい勢いで近づいてきます。 とにかくすごい食欲で、暑さにもめげず、ひたすら草にむさぼりついている感じです。
場所は興福寺の入り口近くの公園です。 子どもは、「もうないよ。」と言っているのですが・・・・。21,8,22


 ・番外寺・醍醐寺・三室戸寺・圓教寺・石山寺・三井寺 編
京都も山科となると、このような田んぼに稲が植えている景色に出会える。でも猫の額のような場所に植えてあるのにも驚く。 そんな場所に、ここ番外寺の「元慶寺」がある。境内の中は、鎌倉のように木々におおわれた手入れの行き届いた庭がある。吹き抜ける風もさわやかだ。
本堂も渋い。納経所の形も昨年同様にお優しい。今回初めて気づいたお庭にある石碑が上に刺してあるお獅子です。下の写真、泊まったホテルからこの次の醍醐寺まで、旧東海道、醍醐寺道を案内いただいたタクシーの運転手さん。さすが、大変お詳しい。醍醐寺の山門は、前回と同様、まだ修理の途中でした。前回は女人堂で御朱印を頂いたのですが、今回は御開帳中で金堂で御朱印を頂きました。
続いて訪れたのが、「三室戸寺」ここは、前回は人がシーズンオフでほとんどいなかったのですが、今回は、人人人。みなさんアジサイを見に訪れていたのと御開帳をしているのとで大賑わいでした。
善光寺さんのようにみなさん並んで丑をなでていらっしゃいました。勝ち運が付くといいですね。 御代、このアジサイの数。正面上はツツジ。これも咲いていたらきっと見事なんでしょう。
今、流行の柏葉のアジサイは数が少なかったです。 がくアジサイも変わった色の物を発見。
京阪電車に乗り、京阪七条でおり、今熊野観音に向かう。 最後は、智山派本山の「智積院」へ。ここでも御朱印を頂く。
ここの庭は300円を払うと国宝のふすま絵のある宝物館、また、お寺の建物に上がることが出来、お庭を拝観できるのです。旅の疲れをとるのに、大変良い場所です。皆さまも一度、行かれたらいかが。21,6,20参拝。 みなさん、見たことないでしょう。これは、N700系の2000番台車両です。これは九州新幹線が山陽新幹線とつながったときに走る予定の車両なのです。姫路駅に入線していました。色が少し青みがかった白い色です。
書写山に行くには、ロープウェイに乗らなければなりません。乗車時間は4分ほどですが、淡路島から大鳴門橋まで晴れていれば一望できます。彼女は前回もお世話になった、ロープウェイのガイドさんである。 ロープウェイから見える田んぼには、デザインコンテストの優勝者のデザインで刈り込まれているそうです。ちなみに今年は女子高生の物。
この上にあるのが観音堂(本堂)だが、喰堂はこの先5分ほど歩いたところにある。そこでラストサムライが撮影された場所。 上の写真は、清水寺にも匹敵するほどの大きな本堂です。21,7,7参拝。
翌日、京都市役所から地下鉄に乗り、浜大津駅へ。 そこから石山本線に乗り換え、石山寺駅で降り、雨の「石山寺」に向かった。ここは紫式部が「源氏物語」を書いた寺としても有名です。
もう一度、京阪石山本線に乗り、「別所」で降り、「三井寺(圓城寺)」へ。ここは、琵琶湖を望む高台にあり、来年の「智積院」団参の折にもお連れする予定の寺でもある。 これまた、受付のお姉さん、占い師でもあられる。21.7.8参拝。













大阪槙尾山「施福寺」深夜バスを使い、大阪から移動。南海線「泉大津」からバスを乗り継ぎ、御山の入り口へ。。もちろん車では登れない現在唯一の「西国」なのだ。 この寺に行くには、西国一の難所といわれるこの坂道を制しなければたどり着かない。住職が以前登った道を味わって戴こう。
山を下りて電車を何回か乗り換えしての近鉄「藤井寺」。この商店街をぬけたところに、「西国」がある。 そこはちょうど吉祥院と同じ「藤」の見頃を迎え、「藤まつり」が開催されていた。本物の河内音頭を間近に見る。
藤井寺だけで、家に帰るのは時間的にもまだ、14:30なのでもったいないので、足を奈良県に伸ばし、近鉄電車で、「樫原神宮」、「大和八木」で乗り継いで番外寺「法起院」と「長谷寺」に向かう。締め切り時間が17:00なので、なんとしてでも16:30には駅に着かないと間に合わないので、必死に駅の階段・街中を駆け回り、法起院には16:40、長谷寺には16:45に入る。長谷寺名特別参拝で観音様のお足に触れ間近に拝ませていただくことが出来たので感激!!最後に本堂前で記念写真を撮って、帰路に着く。「ぼたん」という名前のおみやげ屋さんのご主人に車で駅に送っていただいたおかげで、17:50の近鉄の乗ることが出来、京都を19:42の新幹線で家路につく。よく歩いたので身体が痛いが、充実した「西国」であった。
槙尾山のオレンジバスからご一緒した方。結局、藤井寺でも先回りしてくださり、ご心配いただく。写真の腕はプロ並み。今度吉祥院にも、ぜひお越しください。 長谷寺執事の桑名さん。お帰りの時に写真に納めさせていただきました。今回、観音様のお足元までいけました。お坊さん方に優しく接していただき、ありがとうございました。
そして最後に、このご主人。車でわざわざ駅まで5分くらいですからと、乗せていただきました。お団子を買ったくらいなのに申し訳ありません。ぜひ、吉祥院に遊びに来てくださいね。ここのお焼きはおいしいですよ。 疲れたけれど新幹線より安く、宿代もかからない、高速深夜バス。このバスは、プレミアムだから、料金は少し高めですが、シートはデラックスです。




 ●「西国観音霊場」住職編


  
20年10月3日(金)巡拝開始。21年3月31日満願。

有名な那智の大滝を眼下に見るほど、高い場所にあります。 西国一番札所、那智山「青岸渡寺」。
親切にいろいろと教えてくれたおばちゃん。聞くところによると、お坊さんや職員の数だけで、3000人もいるそうです。 この駐車場は、800円はらって上ってきた駐車場で、ここまでくるには、かなりの階段を上らないと一般は、たどり着けません。私は、先を急ぐので楽をしました。
2番寺「紀三井寺」奥を見たけれども、見えるのは「前立ち」だけで、本当の本尊様は秘仏だそうです。 私は行かなかったのですが、この本堂と対の所に、大きな11面観音さまを5月に開眼されたそうです。
紀三井寺から見る和歌山湾。これを見ただけで高台にあることがわかる。 この階段を私は上るのをやめました。次のお寺まで時間がかかりそうだったからです。700円払って境内まで車で上りました。でもこの階段、これって結構な数ですよ。
3番寺「粉河寺」これは中門で、この手前300m位の場所に山門がある。とにかく境内がとてつもなく広い。長い道のりである。 下の写真が四天王である。
立派な本堂。本当に西国のお寺は大きなお寺ばかりである。 この柱の太さ、人の大きさと比べれば、ほぼ同じくらいある。
副住職と明るい職員の方。「ホームページ載っけててくるのかなあ。」「もちろん載せさせていただきますよ。」とお答えした。 そのあと、境内にあったお茶屋でご一緒させていただいた河内さん。阪神西宮にお住まいで、文学書の旅をしておられた。お近くの駅までお送りしますよ、とお誘いしたところ、4番寺までつきあってくださった。それが、大変助かることになるとは、その時は私は知るよしもなかった。車で走り始めてから、時計を気にする河内さんが帰り時間を気にしているのかと思いきや、「実は、槙尾山は、けっこう山深くて駐車場から30分くらい歩くと思いますよ。西国の中でも一二を争う難所なのです。私は、そんなことも知らないまま、車を走らせていた。
4番寺「槇尾山」入り口に立つ石塔。しかし、ここから実際には、30分も歩いていかねばお寺には着かないのだ。ここにたどり着くまでも車がすれ違えないような場所を走り、ここにたどり着いているのだ。西国一の難所と言われる。こんな所があるとは、夢にも思わなかった。 手前の杭が見えるでしょうか。コンクリートの路も段差が付き、この先を行くと、お城の石畳のような階段状になっているそうだ。河内さんは、生駒山から歩いてここまで来たことがあるそうな。一緒に来てくださった意味が初めてわかった。感謝・感謝である。
バスの転回所。ここが車で行ける最も奥の場所。 地図がありますが、今回は、時間切れでここでおしまい。納経をいただくためには、この場所で16:00には着いていないとお寺にはたどり着けません。私は、16:30になってしまいました。17:00に閉門します。
ここで今回買い求めたものを紹介します。1番寺の青岸渡寺で納経帖を買いました。1500円。 中には、紺色の表紙のものが入っています。他には、朱色のものもあります。
右に御詠歌が書いてあり、左に御朱印をいただきます。300円。 これは、「お姿」と言われるものです。1枚200円。

「西国33観音霊場」を訪ねて


20年11月6〜8日巡拝・・・・その@  4番寺「槙尾山」編
  11月6日(木) 
まずは、前回、入口で帰らざるを得なかった4番寺槇尾山「施福寺」からスタートした。今回は、前日遅くまで寺の行事があって片付けなどをしていたので、安全策をとり、公共交通機関を使ってここまでたどり着いた。この時点で12寺45分である。 登りはじめは、コンクリートの幅広の段差階段。
しばらく路を行くと山門が見えてくる。 路の脇には、このような野仏がいくつもある。
このような道が続くと思うと、その先からは見ての通りきつい階段というか坂になっていく。 木が覆い被さるような道が続く。
上の左右2枚と左は、昔は、僧が住んでいたであろう建物が今は廃屋となっている物が幾棟もあった。
このような鎖場がきつさを物語る道。 あるがままの石。滑りやすい。
このような倒木の場所も見られた。 奥深い森。
空海「弘法大師」得度(とくど)出家した場所の庵があった。ここまで40分近くかかった。 やっと最後の階段が・・・。ここから10分。
やっと本堂にたどり着いた。チャイルド幼稚園の子供たちは、毎年ここまで登ってきているようで、参りました。 83才の御茶屋のおばあちゃん。今度の正月で引退するそうですが、毎日、この山を登って元気にお仕事をしているそうです。この元気にご利益をあやかりたい。まさしく、「観音様」です。
「施福寺」本堂正面の図。 本堂横の境内からは、遠く、生駒山系も望む。
そのA・・・葛井寺(ふじいでら)編
今回、泉北ニュータウン線「和泉中央」駅からお世話になったタクシーの運転手さん。実は、バスの時間まで全部調べてきたのですが、現在は、槇尾山登山口までは、直通バスはないことがわかり、急遽タクシーを使わざるをなくなったのです。しかも、片道3300円。往復だとこの時点で単純に6600円。次の藤井寺にいくにもぐるっと回って時間がかかる。「タクシーだと、時間もお金も節約できますよ。5000円過ぎたぶんは、半額ですから。」その言葉を信じて藤井寺まで貸し切りコースで頼んだところ、本当にあら不思議。「和泉中央駅」〜「槙尾山」〜「藤井寺」まで、すべてのコースと1時間40分以上の待ち時間と共に、12時過ぎから、4時頃までおつきあいをしてくれて、8500円のお支払いでした。この値段ははっきり言って普通料金よりも、かなりお安いと思います。が、寺巡りは、交通費が個人で行くと結構高くつきます。団体で行けばもっと安くつくのですが・・・・。
「葛井寺」(ふじいでら)につながる藤井寺商店街のアーケード。 それを過ぎると、赤い山門が見える。
立派な本堂。 これは護摩堂。若いカップルが、この写真を撮る前に、丁寧にお参りしてました。
境内から山門を見る。ちょうど夕日が沈もうとし始めた頃です。 御朱印を書いていただいた係の方。明日行く、上醍醐の准胝堂がこの8月に焼けてしまったことに「涙を流れてくるね。」と話しておられた。本尊もお堂も多くの方々にお参りされてありがたい。また、参りする人もありがたさを分けていただいているのである。
11番寺「上醍醐」女人堂編 11月7日(金)
宿泊している京都市内より、地下鉄東西線での移動です。 駅を降りると案内図があり、歩いて5分くらいと近所の人の話ですが、だらだら坂で15分くらい確実に歩きました。
山を含めると12万坪と敷地がとてつもなく広い。 入り口の山門は、工事中です。
本来であるならば、山を登らなくては、上醍醐に行けないのですが、ご存じの通り、8月に落雷で本堂本尊ともに焼けて消失してしまったのです。 入場料は払わなくて脇道から女人堂まで続いて歩いていくことができます。
しばらく行くとこれも重要文化財の山門が見えてきます。 お寺に子供たちの姿があると、なんだかほっとします。「君たちの将来は私たちが作り、私たちの老後は、君たちの育ち方で決まるのです。」
案内図の通りに行けば、20分くらいで女人堂境内にたどり着きます。
女人堂の本堂にお参りをする。 その脇に御朱印所があります。
山門脇のお茶屋さん。 抹茶とお菓子をいただいた。おいしい。「ここまで来たのなら、次は三室戸寺が近いですよ。」と教えてくださった。
「六地蔵駅」までバスで移動する。醍醐寺を出るとすぐにバス停があり、三条京阪方面からもここには直接来ることができる。 京阪電車で「六地蔵駅」から「宇治駅」まで移動する。それから今回「都でするっとカード」という磁気カードのプリペイドカードを使用した。ICカードがまだまだ関西方面では、ハードが普及していないために、このカードが使いやすかった。バスでも私鉄でも、市営地下鉄でも使えます。
宇治駅を降りてまた歩きです。だらだら坂がここも続きます。 読めない地名です。何の門前なのでしょうか。
10番「三室戸寺」編
 
山門。入場料500円。
京都駅から出ている、バスの観光コースを使っても移動が楽にでき、昼食もおいしいものが食べられます。
このお寺に参るときは、蓮の花が咲く頃がよいようです。 あとは、紅葉が真っ赤になる、11月20日過ぎがよいですよ、と教えてくださった係の方。
番外「元慶寺」編
地下鉄東西線「御陵(みささぎ)駅」にもどる。そこから次のことを考えて、タクシーへ。ただし、このお寺の駐車場への道も駐車場も、軽自動車でもきついところ。腕に自信のない人は、車でない方が正解です。
鎌倉のお寺のような奥の深い遠近法の庭がすてきである。このお寺は、西国巡礼を復活させた「花山法皇」が出家得度したお寺であることから、番外寺としてお参りされるようになった。
ご案内いただいた親切な職員の方。バスの乗り方を説明中。 元慶寺でたまたまご一緒させていただいた女性。かなり、西国にはお詳しく、御開帳されているお寺などの情報を元に、お参りしているとか。次の「今熊野観音寺」までご一緒する。
先にも述べたが、西国の場合、一斉に御開帳は行われていない。このお寺は、御開帳期間とあって、多くの人の姿が見られた。
16番寺「清水寺」編
昔も今も変わらない光景。修学旅行者や、外国からの観光客で賑やかな清水坂。 そしていつもと同じ、山門前での記念写真。
托鉢の僧。なぜ、托鉢をされているのか聞かなかったが、写真を載せさせてください。 この本堂の裏手に納め札所がありますが、意外とそこだけ、人数が少なくてすいていました。
本堂前にて。 本堂を背に。
壊れるのを前提に作られて計画的に直すのだそうです。 これもいつもの光景。本日は、ここまでで終了。明日は、女房と子供も合流して、19番「革堂(こうどう)」からスタートします。
19番寺「革堂(こうどう)」編11月8日(土)
寺町通りの一本脇にお寺の入り口があります。 その脇道にはいるとお寺があります。
ただ、唯一尼さんが住職の寺である。 うちの息子に、おにぎりとマドレーヌをいただき、ご住職のお弟子さんという、職員の方に優しく接していただきました。
18番寺「六角堂」は華やかな雰囲気で包まれていた。 ここは、お華で有名な「池坊家」が住職をしているお寺である。
この日は本尊様のちょうど開眼供養をする日で、多くのお客さんでにぎわっていました。ただ、午後から一般公開ということで、残念ながら拝顔することはできませんでした。 17番寺「六波羅蜜寺」ここは、唯一真言宗智山派のお寺で、ご住職とお話ししたのですが、やっぱり私と同じ智山派の匂いがしました。
今回最後の寺 14番寺「三井寺」園城寺 苔むした山門の屋根がすばらしい。
明るい入山料売り場のお姉さん。このお姉さんは、占い師でもあるのです。名刺をいただきました。 これも苔むした屋根のお堂。渋いですねえ。
こんなに広くて、建物もいっぱいあるのです。 お城のような石垣もありました。さすが、比叡山延暦寺と昔戦ってきたほどの大きなお寺です。
紅葉が見事です。 みんなこの木の下で記念写真です。
広い境内を歩いて、やっと観音堂入り口の階段につきました。 ここから70段上ったところが観音堂の境内があります。
ここは、釣り鐘が有名なところですが、私は、この観音堂にある、「鉦鼓」をたたいて参りました。吉祥院の物よりいい音がしましたよ。 琵琶湖を見下ろすところにある、「能舞台かな」このページ以上ここまで。・・・・・住職。
20.11,27〜11,29滋賀・奈良 編
20,11,27これから竹生島に渡ります。
信者の皆様が、各自で弁天様を納めるのだそうです。 「船廊下」と石段。海が光に照らされてキラキラと輝いていた。
さいたま市と大阪(?)の女性。楽しく瓦投げをご一緒させていただいた。 2枚300円で、願い事を書く。
瓦投げをして、あの鳥居をくぐり抜けることができると、「願い」がかなうそうです。 京都の清水寺と同じような柱組である。
竹生島の土産物屋の方。甘酒をごちそうになった。この方々は、「マイカー」ならぬ、「マイ船」をお持ちで、各家の船で、この島に仕事をしに来られている。係留してある船が5,6雙あった。 続いて「観音正寺」ぐねぐねと曲がりくねった山道を登り、駐車場に車を止めてから、さらに山道をあるくこと600m。
仁王像と紅葉が出迎えてくれる。平成5年に焼失した本堂と本尊は、10余年の歳月をたち再建された。本尊の千手観音は白檀の木で作られている。
20,11,28奈良 編
9番寺「興福寺」。平常遷都1300年を2年後に控え、どこのお寺も工事中のところが多い。ここ、興福寺もこのような有様であった。 興福寺五重塔。本当に高校2年生の時の修学旅行以来久しぶりに訪ねることができた。
興福寺「南円堂」にお参りする。 公園には鹿。鹿せんべいを見せると、お辞儀をする。
8番寺「長谷寺」山門。ここに来るには、山の中の細い道をずっと走ってやっと着いた。大型バスが30台くらい駐車場に泊まっており、お参りする人々の多さにちょっとびっくり。 「永平寺」と同じような坂階段。
ここも紅葉がきれいに色づいていた。 開山堂。
この様にいろいろな建物が、数多く、ある。さすが、真言宗豊山派の本山だ。 境内を出て、参道を戻るとそこに番外寺「法起院」がある。
賑わいを見せる長谷寺とは対照的にひっそりとした寺だ。 本堂
法起院の前には、茶店のご主人と奥さんが、「本物」しかうちの店は出しません。」という、草餅のお焼き。「あんこがとてもおいしかった。」とは、うちの息子の談。 続いて7番寺「岡寺」へ向かう。ここは、駐車場からの階段。とっても急な坂を落ち葉を踏みしめながら息子は昇る。私は無難な階段をもちろんいきました。
しばらくいくと山門が見えてくる。ここも、遷都1300年を前に工事中。 さらに紅葉の降り注ぐ石段を登る。
するとやっと境内が見えてくる。ここも紅葉がとてもきれいだった。 そしてこの境内も工事中。
すばらしい音色の釣り鐘を突かせていただく。「日本一!!」 本堂。
大きなご本尊。 続いて、6番寺「壺阪寺」。
このお寺は、とても広く、本堂は写さかったのですが、これは社務所。 本堂横の鬼。
くぐると目が見えるようになる(?!) 本堂より大仏と紅葉の図。
多くの建物がある境内。 これより、奈良を終了し、22番寺「総持寺」に移動する。
阪神高速の近くの都会の中のお寺。 寺務所もおしゃれである。
全面、ガラス張り。 変わったものを見つけました。うちの方ではあまり使われていない、2尺の塔婆。
ここからは、二泊三日の最終日。「岩間寺」へと向かう。国道一号を大津方面へ。横には、京阪線が。 この電車は、「京都市役所」から「浜大津」までを走っているのだが、最初は地下鉄、次はこの様に外を走り、国道や新幹線を横切って、
最後はこの様に路面電車になるのです。結構、楽しいですよ。京都にいらしたら、一度は乗られることをおすすめします。 「浜大津」では、「石山寺」に行くときは、ここでこの電車にお乗り換えです。
「石山寺」山門。 この様に見事な紅葉に多くの人々が訪れていた。
「ゆるキャラ」。 もう一つ「ゆるキャラ」。
訪れたときは、ちょうど「源氏物語」の千年起。ということで、この様な背景が用意されていました。 参道もこんな感じで、おしゃれです。
私は知らなかったのですが、「源氏物語」は、この寺で紫式部がこうやって書いたのだそうです。 12番寺「岩間寺」。ここにたどり着くには、延々と山道を上がらねばなりません。車なら簡単ですが、中には歩いてたどり着く人もおりました。歩くと優に1時間はかかるそうです。
ここの紅葉も美しかった。 本堂は、屋根をなおしておりました。
12月11日(木)〜12月12日(金)編
今回の旅は、本山で開かれている「冬の報恩講」を見学させていただく「ついでの旅」です。ですから、時間のことを考えて、朝5時30分に家を出て1番のバスに乗り、7時30分発の新幹線500系で京都に9時52分につきました。それにしても、500系は最近めっきり減ってしまって寂しい限りです。偶然、反対側のホーム「東京行き」も500系でした。
10時00分開始なので、すでに5分過ぎて金堂に入らせていただきました。金堂の中は、参集した僧侶でいっぱいで、200名はいるかという感じです。赤い衣を着た方が、いつも御世話になっている阿部龍文 能化(のうけ)様です。だらだらだらとお経をひたすら続いたあと、問答が始まります。「禅問答」のような迫力はなく、「声明」に近い問答の感想を持ちました。金堂に続く境内の参道や密厳堂に続く参道には、写真のように灯籠が掲げられ、僧侶の歩く道を明るく照らします。というのは、10日の16:00の開白から始まり、陀羅尼会は早朝に終わるのです。12日の10:00のご法事まで、3日間も行われているのです。私は、当然すべて見ることが時間の関係上できないので、問答だけの参加となりました。
本山を11時過ぎにあとにし、どこの寺に最初に行くか悩んだ末に、21番寺「穴太寺(あなおじ)」に決める。 山陰本線亀岡駅を降り、バスの便が1時間に1本しかないので、タクシーを使用する。写真は本堂。
境内に参詣客はなく、とても穏やかな気分にさせてくれるお寺でした。 お世話になったタクシーの運転手さん。タクシーには、スタッドレスタイヤが。「いつ雪が降ってくるかわからないところなので。」とは、運転手さんの弁。
続いていったのが、22番寺「善峯寺」JR京都線で向日町で降ります。そこからタクシーで山をどんどん登っていくとお寺はあります。写真を見ていただくと松や槇の木がよくわかると思いますが、この寺に着くまでの紅葉が有名で、本一月前までは、狭い山道が渋滞でタクシーも通れないほどだったそうです。帰りは、待たせてあったタクシーで、阪急「東向日町」にいく。
阪急宝塚線「中山寺」駅で降りる。写真のような女子高生。後ろ姿でとらしていただいたが、本当にきれいな方が多い。お寺は地図を見るとすぐそこにありそうなのだが、すごく広そうなお寺である。歩いていた方に教えてもらい、写真を撮っていただく。もちろん、とびっきり美人の方。写真は控えさせていただいたが、お腹の赤ちゃんのお参りで、この寺に来たそうな。来月1月に出産予定だそうです。なんだか、このお寺は幸せで満ちあふれていそうな感じである。
この寺は、安産祈願で訪れる方々が多い。先ほどの方もそうだったのだが、安産を願う方々は、階段を一生懸命上ってくることで安産を、お年を召した方々のためには、なんとエスカレーターがその横に2機も用意されている優しい寺なのである。納経所の手前には、500羅漢像が安置されているお堂があり、これには圧巻される。山門前では、本当にお幸せそうなカップルにお願いしたら、快くシャッターに収まっていただけました。ちなみに、お腹の中には赤ちゃんは、まだなのだそうです。これからも、お幸せに。
2日目・天橋立に向かう。
京都から、9時21分の特急に乗って、2時間ちょっとで、天橋立駅に到着。そこから、観光船に乗って、ケーブルカーに乗り換え、また、そこからバスに乗って、やっと成相寺に到着した。時刻は13時である。海上は晴れ間もあるが、お寺の上空はどんより曇り、なんだか不思議なお天気である。これも神々が渡るという、天橋立のせいか。お寺には、左甚五郎の掘った「真向かいの龍」があった。また、16億円かけて作ったという、五重塔は、海上からも見ることができる。バスの運転手さんに聞き、東舞鶴駅からタクシーで行けば、松尾寺に行けることがわかっった。帰りは、東舞鶴発17時08分発の特急に乗らないと19時02分京都駅発の新幹線に間に合わない。しかも今日は濃霧で時間が遅れ気味。さて・・・。
ここ西舞鶴駅が北近畿丹後鉄道の終点駅。ここからたった一駅の東舞鶴駅に行くために30分も電車を待つのである。タクシーだと一駅でも7キロ以上の距離をいくので、決して近い距離ではない。やはりここは、電車を待った方が得策である。しかも、今は、年末の工事渋滞でタクシーも停止しがちである。東舞鶴駅では、タクシーの運転手さんに事情を話し、特急に間に合うか、話してみると何とか間に合うでしょうとの返事をいただき、松尾寺に向かう。ご案内の職員の方が話しかけられても時間がないので、とお詫びをして、本尊さまをおがましていただいて失礼する。
ちょうど御開帳していた、馬頭観音。 お優しい職員の方。
予定の特急に乗ることができ、家には、22時20分に、無事、着くことができました。 タクシーの運転手さん、お世話になりました。
21,1,17
本年最初に訪ねたのは、23番寺「勝尾寺」

阪急箕面線に乗って終点下車。タクシーで30分くらいの箕面の山を登っていく。途中お猿さんがたくさんいて、人間を歓迎しているよう。右下写真を見てくださればわかるように、どこかのお店に入る感じで、お寺に入山する場所となる。入ってすぐに山門があり、それをくぐると広い池が現れる。その橋を渡って参道は続く。池からは、モウモウと湯気が立っていて、なんだか不思議な感じ。
階段の両脇には、水が流れ、小さなだるまが多数おかれている。 願いが叶った人からの奉納だるまがたくさん。
水が流れてくる源には、観音様がいらっしゃりました。上の本堂の写真を観てわかるでしょうか。本堂の両脇に積まれているのはすべて、4斗樽の酒樽です。人の大きさと比べるとその多さと大きさに圧倒されます。これを奉納すると御利益があるそうです。今日だけでも何人かの人が11:30のご祈祷に奉納されていました。この寺にいるとなんだか、すごいパワーを感じずにはいられませんでした。
24番寺「中山寺」を再度訪ねました。そうしたら、前回気づかなかったところも写真に納めましたので紹介します。まずは、閻魔様と十王がいらっしゃったのです。そして、その建物の後ろに御朱印を埋めたのではないかという、古墳がありました。飛鳥の石舞台のような古墳です。同じ境内の横に目立たないようにあるなんて思っても観ませんでした。
JR福知山線「宝塚」駅から電車に乗り、「三田」駅で降りる。そこからタクシーに乗り、番外「花山院」へ向かう。ここもご多分に漏れず、山の中の寺。しかもぐねぐねと琵琶湖畔の寺「長命寺」を思い出しました。ところが、写真をアップしてないことが判明。急遽、下にその時の写真をアップさせていただきましたのであしからず。 大型バスで来た団体さんは、車で頂上まで上がることができないので、タクシーを山麓からチャーターして、15,6台でピストン輸送で上がって参拝していました。境内や土手には、昨晩降った雪がまだ残っており、空気が冷凍庫並みでした。
番外「花山院」菩提寺本堂。 山頂の境内から観た、有馬富士(手前)と播州灘(平地の先)、小豆島(右奥)です。この寺から、そのままタクシーで25番寺「清水寺」へ行く。続けて見る場合は、31番寺「長命寺」の下をご覧ください。
19,11,29参拝。31番寺「長命寺」
車1台がやっと、という道を上がって駐車場へ。そこからさらに階段を上る。右の写真は、下から階段で上がってくる人たち。豆粒みたいな人の姿に注目。境内に上がると、紅葉の美しさと、琵琶湖を望む景色の美しさに感動。
木々の間から琵琶湖を望む。 この寺で、今回の旅は終了。帰路につく。
「花山院」の続きから。「花山院」からタクシーで走ること40分。ここもJR福知山線の線路を越え、反対側の山中にある。25番播州「清水寺」。ここもぐねぐねと山道を登っていく。しかし、何でこんな山の中ばかり、お寺はあるのだろうか、と思ってしまう。深い杉木立ち。城跡のような階段と石堤を過ぎると、境内入り口が現れる。
この写真ではわからないが、本堂の正面は、木立の崖下である。12番「岩間寺」もそうであった。寺は、天台宗で、ちょっと「勝尾寺」と正反対の雰囲気。本堂前の灯籠は立派であった。歴史を感じる。今回の旅は、この寺で終える。JR三田駅からお世話になったタクシーの運転手さん。帰りは、「新三田」の駅で降ろしてくれました。家には、21:10には、着くことができましたよ。ありがとうございました。・・・・21,1,16住職。
21,2,17 姫路編
今回は、車で行くことにしたのですが、ご覧の通り、前日までの初夏のような暖かさから一変して、ご覧の通り、雪景色となってしまいました。(京都市内) 26番「一乗寺」駐車場横に本堂らしき物を建てていた。「なんとか院」だそうだ。この寺に来るまでの道程は、中国道の加古川北インターから15分ほど走ったところにあり、田舎道をぐねぐねと山の中に入っていく。そんなには、標高は高く感じない。ただ、バスもこの先にはいかないほど、寂れた場所にある。
入り口を過ぎ、階段を上っていくと大きな灯籠がある。播州「清水寺」のものとほぼ同じくらいの灯籠だ。また、左手には、国宝の三重の塔が見えてくる。
本堂の建物は非常に大きな物である。 雪の舞う中、本堂より、三重の塔を望む。
「写真は遠慮しておくよ。」と、お茶の接待をしてくださった方。寒かったので、おいしかったです。 朝早く着いたので、掃除をしていた受付の方。
姫路市内にある、書写山にある27番寺「圓教寺」。トムクルーズが主演した「ラストサムライ」のロケ地でもある。この寺は、車のナビで案内させると、寺の登山口を示すので要注意だ。そこからは、一般車は登ることができないので、「書写山ロープウェイ」を入力することになる。駐車場は無料。ロープウェイは、大人一人往復900円。山頂からは、マイクロバスで入山料、拝観料込みで1000円払えば、1kmの道程が楽できるだけでなく、宝仏殿などのお金もかからない。話がそれるが、このロープウェイ、姫路市の持ち物なのだが、観光会社の運営の関係で、右のような美人のガイドさんが、説明してくれる。さすが、プロのバスガイドさん、といった感じでわずかな乗車時間だが、説明も中々である。
このお坊さんが運転手さん。天台宗の立派なお坊さんである。自坊は、市内の「いかるが」というところにあるそうで、私は、奈良の「斑鳩」と勘違いしました。 ここで「和泉式部日記」が書かれたそうです。
マイクロバスを降りた場所から、遠く本堂を望む。 階段下にある、僧坊・寺務所入り口。
ここからも見えるが、京都の清水寺と同じような立派な柱が見える。 この立派な骨組みが本堂を支える。
人の大きさから本堂の広さを想像してください。もちろん、写真には収まりきれません。 内陣の様子は、よく見えません。
お寺さんのお坊さんといっしょに、多くの方がお参りに見えていました。 本堂の回廊から下の茶店、歩いてきたところを望む。ちなみに、白い瓦は雪景色である。
回廊が斜めになっているのは、雨水をしみこませないように計算して作られているからなのだそうである。 本堂裏の立派な彫り物。組木・桟。ここから、ラストサムライを撮影するのに使った、喰殿に向かう。
折しも雪が降りしきる景色の中、5分ほど山道を進むと、喰殿が見えてきた。歴史ある建物の雰囲気はすばらしく、姫路城と共に、映画で使った理由がよく理解できる。下の屏風絵は、和泉式部。また、その隣には、和泉式部が詠った和歌が書かれている。
圓教寺の歴史。縁起は966年と古い。帰りのロープウェイからは、遠く、淡路島、淡路大橋、小豆島を見ることができた。今回の旅を終え、残るは、33番寺 岐阜「谷汲山」だけとなった。次回は、4月1日に行く予定である。・・・・・・住職。
21年3月31日(火)谷汲山編
谷汲山は、民営の駐車場が参道脇にたくさんあります。 お店もいろいろあり、このお店で竹籠を購入しました。皆、幸せそうなお顔です。
両脇が桜のトンネルになっています。 見上げるとこんな感じ。
石や仏具、表装屋さんなどがあります。 500m程歩くと山門が見えてきます。
山門を内から撮ると、あの世とこの世に境のように感じます。 昔の名鉄電車を模したバスも走っていました。
山門の入り口からさらに奥へと進んでいく。杉木立と登り旗が立ち並ぶ参道をずっと進んでいくと 本堂下の階段が見えてくる。
そしていよいよ本堂へと続く。 ご本尊様は、21年3月1日に御開帳されたばかりである。
大きな観音様。本堂途中の階段横にいらっしゃいました。 参道の途中にある、料理旅館「松本」のご主人の手による「味噌田楽」。1本70円。
ちょうど、「花祭り」の前だったので、甘茶をかけて差し上げるうちの息子。この後、甘茶もごちそうになりました。 この味噌がたまりません。定食もいろいろあり、おいしかったです。
 結論、谷汲山「華厳寺」は、納めの寺にふさわしく、何か華やいだ雰囲気がたくさんありました。皆さんに幸せをいただいた気分です。
 それから、うちの奥さんがこの寺から御朱印を始めたので、私は、この後、2度目を廻らせていただいている次第です。21,3,31・・・住職。