みなさまの心のふるさとにようこそ 本文へジャンプ
住職より

たくさんのお参り、


ありがとうございました。


※巣鴨のとげ抜き地蔵尊「高岩寺」へ行く機会がありました。庚申塚の商店街を歩いていくと大勢の人々が高岩寺にお参りに行く姿と出会います。途中、甘味屋さんに入って暑かったので一休みしたのですが、足の悪い人でも休めるようにテーブルが移動できたり、店員の方が優しく声をかけてあげたり、当たり前と言えば当たり前の光景にあいました。
 しかし、この当たり前の光景に近年なかなか出会えません。たとえであったとしても、何か、ちぐはぐな、気恥ずかしそうな光景に感じたことはありました。当たり前のことを当たり前に行える。なんてすてきなすばらしいことなのでしょう。
 生きている方にも、亡くなったかにも優しく接してあげる。それが「ご供養」ではないでしょうか。『高岩寺』のお坊さん曰く、『みんなが集まってくるから自然と優しくなれるのじゃないですかねえ。』
 吉祥院にも、たくさんの方々がお参りしてくださるよう、これからも努力していく所存でございます。

(吉祥院本堂) (吉祥院本堂脇室)


◎上総第三教区「檀信徒教化会議」30,10,14

「法楽紙芝居・お釈迦様物語」

~仏様に祈り 仏様に出会う~

   
   
お釈迦様の生涯をスライド投影しながらお話を語っていきます。途中、御詠歌(ごえいか)講の皆さんが「釈迦牟尼如来誕生和讃」を唱える。   仏様に感謝するお経「四智梵語(奠供てんぐ)」をお唱えする。このお経には、独特の節が入っており、このような節のあるお経を「声明(しょうみょう)」といいます。また、この「四智梵語」は、智山に伝承されるお経の中でもとても美しいものとして知られています。
   
 お釈迦様「入滅」の時、お釈迦様の最後の説法が始まります。「自らをよりどころとして、法をよりどころとせよ。」「諸々の現象は移ろいでゆく。怠らず、努めるが良い。」このお釈迦様の最後の説法の様子を収めた経典が「佛遺教経」です。この後に住職方が、このお経を唱えました。  幕の間の休憩時間。吉祥院の竹内総代始め、三役。並びに藤夫さん、のぶ子さんもご参加して下さいました。
   
 2幕目の「和太鼓」鈴木純一さん。地元出身の太鼓のプロですが、3尺太鼓やいろいろな大鼓(おおづつみ)等を組み合わせてそれはそれは、皆さんを楽しませて下さいました。前の日も同じ会場で、豊山派の法要にも参加していたそうです。追っかけファンが「ジュリー」のようにたくさんいらっしゃいます。  三味線の廣原武美さんと民謡の柿崎竹美さん。息の合った演奏と踊り、歌で楽しませて下さいました。ちなみに、お二人は、ご夫婦なのだそうです。
   
   
   
最後に、一昨年の熊本地震始め、今年多くの災害がありました方々に対して、復興祈願として「鈴木さん」の太鼓に合わせ、住職方が、『錫杖経』『観音経』『諸真言』等をお唱えし、祈願法要を行いました。   900人の客席、大きなステージからの法要は、きっと人々の心に感動と願いが、伝わってくれたと感じております。















・世界遺産を偶然訪ねて 30.10.10

   
 天草にある「崎津(さきつ)天主堂」。道ばたの看板に惹かれて訪ねてみました。そうしたら、隠れキリシタンで有名な教会の一つでした。中は、畳敷き、海辺のすぐそばに建っていました。宗教がたとえ違っていてもお寺でもキリスト教でも崇高さ、人々の願いや信仰心を肌で感じることが出来ました。  鹿児島県から車で走り、長島「蔵之元」から天草市の「牛深」まで三和フェリーでわたる。きれいな島と入り江になっている。

・10月の「今月のお言葉」に書かせて頂いている、西国観音霊場29番寺「松尾寺」に松尾心空御住職を訪ねて参りました。とても御年91才と思えない程お元気で、一緒に写真に収まって下さいました。

   
   
   
   





◎本山「智積院」にて 30,7,29

   
 本山「智積院」金堂。ここで朝のお勤めがこれから始まります。今日は、早く訪れたので、修行僧が、まだ、準備している途中です。彼らは、1年間、ここで「行(ぎょう)」をしています。今は、ちょうど一番つらい加行(けぎょう)という、2ヶ月間かかる行に入っています。朝起きるのは、1時30分。1日三座の行をし、それ以外の日務もこなします。  本堂横の蓮池には、水が常に東山より引かれ、蓮の花が順々に咲いておりました。
   
彼は、朝のお勤めが始まる前の「梵鐘(ぼんしょう)」の係。本堂にある半鐘(はんしょう)に合わせ、鐘をついていきます。   女性の僧侶も珍しくなくなりました。彼女も埼玉県北本市のお寺のお嬢さんだとか。息子の同級生にも女性が何人かおります。今年は、息子も第一期研修にこの夏、参ります。�
   
 中央にいらっしゃる僧侶は、智山派化主。写真は御法度なので、遠目にこの1枚だけ。  その後、護摩殿にて祈祷法要の後、護摩木に願い事を書いて参りました。











◎青葉祭。30,6,17

・弘法大師【空海】が生まれた日が6月15日。また、興行大師【覚鑁かくばん】が生まれた日が6月17日であることから真言宗では、各派その誕生を祝ってこの近辺の日程でその誕生会(たんじょうえ)「青葉祭あおばまつり」が開かれます。その中身はと言うとその宗派のお寺によって内容は様々ですが、お練りや稚児行列まで実施する高野山や普通の法要だけのお寺など様々です。

私は、その頃は自坊ではお檀家様の法事が閻魔様のご縁日【16日】と重なっているため、法事が入ることが多いのでなかなか本山【智積院】の行事にも参加することが叶わないのですが、(一度参加したことがあります)先週、仕事の合間を縫って、平日に紀州を一人で旅をする機会に恵まれました。
日頃、デスクワークが多いので出かけるときには、出来るだけ身体全身を使うバイクで長距離を移動するようにしています。今回は、雨(梅雨)が近くまで来ていて日程中にちょうど梅雨入りにあたる予定でしたが、ここを逃すと今シーズンはお参りすることがもう出来なさそうなので、思い切って、準備をして月曜日に出発しました。泊まる宿も今回は決めず、どこまで行けるかもわからないので、また、空模様との相談となるので不安と戦いながら昔の旅人同じような気分で出発しました。

朝8時に家を出発して順調に1日目は行程を名古屋方面から伊勢湾岸道を南下し、新宮あたりで1日目の宿を取る予定だったのですが尾鷲の手前の紀伊長島町で優しいガソリンスタンドの方の紹介で1泊目の夜を迎えました。
   

宿は、紀勢本線が裏を走り、近くに海水浴場がある風光明媚な自然の中にある民宿で脳みそが洗われる観がありました。翌日は、スマホの天気予報とにらめっこをし、朝飯を食した後で7時30分には、出発しました。
予定して新宮までは、まだ結構距離があります。ナビを観るとスマホ同様尾鷲の先に高野山への道を示しています。国道42号線を進み、ナビが示す道に曲がって紀伊山中、国道309号から下北山を経て425号線に入りました。熊野川の美しい景色を見ながら道を進んでいくとだんだん道が険しくなり、道を軽トラック一台分の道幅しかなく、しかも至る所で落石や断崖絶壁、熊野川の支流の源水となるべく崖を崩しながらの小さな滝が至るところで道路を濡らす,といった、バイクを倒したら一人では起こせないし、後ろや前から車が来たらよけるスペースもないし、ましてや携帯の電波も届かない、自然のまっただ中に置かれてしまいました。ガソリンは幸い昨日満タンにしているので、バイクでトラブルがなければ進むことは出来ます。十津川町まで37kmの看板を確認し、標高1200m以上の分水嶺を三度越え、やっと新宮から続く道、国道168号に入ることが出来ました。

山々の切り立った尾根は、アルプスの如く、家に帰って調べてみると、国道425号は、日本三大「酷道」と言われている道だと知り、改めて、高野山までの道・地形は、弘法大師【空海】の修行の場・修験道の道であることを思い知らされました。その後、道を間違えそうになりながらも紀伊長島から6時間かけて、高野山の町に入りました。
   
長時間の運転で疲れていたのですが、お参りをし、午後2時を過ぎていたので、本来なら、宿坊にこの日、泊めて頂こうと考えていたのですが、スマホの天気予報では、この後にもう、雨が降ってくようなレーダー予想が出ていたことから、急遽予定を変更し、翌日も足止めされることが確定的だったので、京都市内のユースホステルを予約し、約4時間かけて山を下りることにしました。

   

ユースホステルというのは、安価な値段で泊まれ、1泊5千円前後で2食付きです。宇多野ユースホステルという、この宿は、1本道から入るだけで自然に囲まれ、英語も通じることから外国人の宿泊者も多い宿です。170人も泊まれ、清潔で鍵などのセキュリティーも考えられている人気の宿でした。また、当日は、茨城県から修学旅行生も90人近くも泊まりに来ていました。

雨をやり過ごし、2泊した後で、家路についたのですが、今回の旅で感じたことは、人と出会い、自然を感じたこと。弘法大師の教えのように「我々は自然の中で生まれ、また、自然へと帰って行く」「人と出会いまた、別れ、また新しい出会いがある。」ということ。

息子は、というと本山の出先機関である虎ノ門にある「真福寺」というお寺で大学生はじめ40人程度で「青葉祭」の法事に参加。学校での授業の実践をしてまいりました。今年は、夏から本山【智積院】での修行も待っています。弘法大師、興行大師のお誕生祭「青葉祭」と題しまして感じたことを書かせて頂きました。

「生まれてきて下さったことでここからすべて幸せは始まるのです。」あなたのお子さんもお孫さんも。・・・・住職。




◎高幡不動尊「金剛寺」

 前 御貫主 川澄祐勝 大僧正 本葬に参加して

 30,3,16

   
   
   
お導師として真言宗智山派化主の小峰一允(こみねいちいん)猊下を迎え、成田山新勝寺、高尾山薬王院、川崎大師平間寺、名古屋大須観音、和歌山根来寺など、大僧正のお歴々。また、本山内局の方々他、関係寺院の御住職。お坊さんだけで340人以上。親族はじめ、お檀家様・ご縁のあった方々4000名以上の方々の参列を以て本葬が挙行されました。   私は、大日堂【本堂】でそんなお歴々とご一緒させていただきました。高幡不動尊金剛寺より、本葬参加のご案内を今年になってから頂きましたので、せっかくの機会ですので、息子の義輝と一緒に、参加させて頂きました。読経しながら川澄(前)御管主とご一緒させて頂いた時のことやお話をさせて頂いた機会があったことや金田の産物を届けさせて頂いたおりに頂いた夏扇に書いてある「根来寺の猪出るという根来御車道」などの詠まれた俳句などをを思い浮かべながら、読経させて頂きました。心の中に思い出として、これからもご指導して下さるお師匠さんとして住して下さると思っています。・・・住職。






◎友人が育てた「桜草」を今年もまた、奉納して下さいました。29,12,29

   
十年以上も毎年、暮れになると育てた桜草を吉祥院に届けて下さっています。   霜に負けないように13仏さんの前に置いてあります。
   
昔はよく、一緒に酒を飲んだり、スキーをしに行ったりしました。   今はお互い仕事が忙しく、昔みたいに私も酒は飲めませんが、友人の仕事が一段落したら、また、以前のように一緒に遊ぶ約束をして、また、軽トラで帰っていきました。有り難いことです。・・・住職。








◎千葉大学工学部の学生さんたち、来院す。29,12,16

   
デザイン文化計画研究室の皆さん。留学生の方々がほとんどです。お一人は日本人の方でその方と共に、金田地区の絵地図を作っておいででした。今回の来院は、二回目。   これがその地図。前回は、リサーチでおいででしたが、今回はほぼ、出来上がった地図を持ってきて下さいました。
   
 吉祥院もこの通り、閻魔様とオリジナルの瓦せんべいのことを載せて頂いております。御来院、ありがとうございました。・・・住職。  








29,11,17


◎訃報: 今年1月31日に息子と私の妻を得度して頂いた元・真言宗智山派管長阿部龍文 師【大僧正】がお亡くなりになりました。檀家の皆様を連れての団参や御自坊である世田谷区にある等々力不動「満願寺」にも何度かお邪魔しさせて頂きました。

それだけでなく.今年は更にいつもお世話になっていた別格本山「高幡不動尊」金剛寺の御管主:川澄祐勝 師までが10月10日に86才でお亡くなりになったと先日お知らせが届きました。昨日、11月16日【木】お閻魔様のご縁日に高幡不動尊に行き、仏前にお参りさせて頂いてまいりました。11月27日の49日を過ぎると仏前もなくなってしまうというお知らせをいただき、取り急いでおたずねをしてお参りさせて頂いてきました。

このお二方は、私が住職の任を頂いてから「師」として仰がせて頂いた二人であります。「寺作り」をするにあたって「言葉」や「行い」、お二人の「お寺」をお参りする中で見せて頂いた多くのことから自分の寺作りに活かさせて頂いてきました。

学業でも生活でも仕事でも「師」となる方の「いる」「いない」では、その先の自分の人生に大きな違いが出ると考えますし、亡くなってからでも「師となる良き本尊」が導いてくださることでこの先について不安から解放されるわけであります。

今、私の「師」であるこのお二人を亡くした後、私は、灯台のなくなった港をめざす船、羅針盤のなくなった船のような気持ちであります。お釈迦様が涅槃図にあるように今まさにお亡くなりになろうとしたときの天上の神様や仏様、お母様のマーヤ様、動物たちや弟子の五百羅漢が嘆いている絵がよくわかる気がする、と私の女房殿が口にしましたが、川澄様はまさにそのような方だったと思います。

お二人のご冥福を祈ると共に私もまた、次の「師」となる方との出会いを夢見つつ、また、日々の精進に励むことと致しましょう。・・・・・南無大師遍照金剛。  合掌。





・写真は、紅葉進む 高幡不動尊「金剛寺」境内




◎上総第三教区「壇信徒会議」

 【東日本大震災7回忌法要】復興応援コンサート 29,10,2

   
被災に遭われた皆様の御供養のために、真言宗智山派上総第三教区の代表僧侶20名が市原市市民会館ホールに参集しました。  それにともない「密厳流遍照講上総第三教区連合会」各支部講員の皆様による御詠歌・和讃の奉納もございました。 
   
第1部の 法要は約一時間行われました。  第2部は、復興コンサート。坂本りえさんの民謡とピエール小野さんとKIJIさんによる津軽三味線の音色に魅了されました。
   
 もちろん「じょんがら節」も  一緒に写真を撮らせて頂きました。









◎盛夏を終えて 29,8,30

・今年は、天候が不順で、6月頃に気温が高く、7月に梅雨が明けたととたんに雨ばかり降るようになりました。8月に入っても本堂の中で37度もあった日もあれば、お盆は雨ばかり降っていて、長靴と衣の下には、作務衣のズボンをはいて廻るという、住職になって初めて、雨バージョンで檀家回りを致しました。先代住職の時代にも、台風が来て1日だけ、この格好で廻ったこともありましたが、ずっと雨ばかり、というのは、きっと初めてだと思います。

私の同級生が二人、新盆を迎えるという、便りがありました。一人の方は、檀家回りをしている身からして、ちょっと家が家が離れているのでうかがえなかったのですが、もう一人の方は、同じ市内だったので、檀家回りを終えてから、家の息子もともない、お焼香をさせていただき、お経も唱えてまいりました。大好きな星や青空の景色を見て、冬の八ヶ岳で岩の上に腰を下ろしたところで、心臓麻痺を起こしたのだそうです。こんな言い方をしたら、「なんと失礼な」と思われる方もおられるかもしれませんが、まだ、若い。57才。しかも両親より先に。
 でも、「大好きな場所で大好きなものを見て、苦しまず。あっという間に。」残されたご両親も残念でたまらないと思っていましたら、お父様からは、そのようなお話がございました。考えてみましたら、ただただ、長生きをすれば幸せか、と問うてみれば、その自分が置かれている環境が、幸せの中であるならば、長生きで楽しいことがたくさんあって、苦しまずに何の不自由もなく眠るように逝くことが出来るのであれば、「大往生」であると言えるでしょう。でも、今の世の中、果たしてどれほどの人が「大往生」出来ているのでしょうか。天文同好会の担当部長で先に逝った影山先生ときっと、天の川でも見ながら「★談義」をしているのだな、と思います。合掌。

自分に置き換えてみれば、家族の中で見守られ、ああ、いい人生だった、と言って眠るように死ぬことが出来れば、私も幸せだなあ、と思います。息子も住職の跡をきちんと継ぎ、おまけに嫁も孫も見ることが出来れば、、、、・これぞ、大往生かもしれません。

もう一人は、「書道ガール」で有名になった学校で書道部を指導していたK先生。高校の時に同じクラスで、たまたま、高校の部活の顧問が有名な書家の先生(今も現役)だったことで、きっと本人の努力もあって、道が決まったのでしょう。彼も高校の教師となり、「書道ガール」の流行もあっってかテレビでも紹介される程になったらしい。実力も素晴らしい。結果もついてきたのでしょう。ここのところ噂をあまり聞かなくなったと思っていたのですが、友人から亡くなった話を聞かされ、ビックリしました。「肺がん」というお話でした。次の同窓会は、彼が幹事長という、約束だったのに。心からお悔やみをもうしたいと思います。合掌。


◎中学の時に、お世話になった藤平芳子先生を訪ねて。29,8,23(午前)

以前お住まいだった大貫を離れ、娘さんの近くに引っ越しをなさった恩師を訪ねてお邪魔いたしました。ご病気のお身体を心配をして、娘さんがご用意してくださったマンションだそうです。ご夫婦でお過ごしでした。

   
久々の再会に握手です。   右は、御主人。奥様をかいがいしくお世話しておられました。
   
 3人で。  2,3年生の時の担任で、英語担当。L,L教室では、いつも明るく、「ナウ、レッツスピーキング、イングリッシュ!!」と楽しい時間を過ごさせてくださいました。英語が大好きになったのも芳子先生のおかげです。また、お会いしたいと思います。


◎いつもお世話になっています。29,8,23(午後)

   
お塔婆を作って下さっている坂本木工社長渡邉氏。   震災のあった年の秋にお見舞いに行かせて頂いて以来の訪問をさせて頂きました。また、よろしくお願いします。















◎「秋彼岸」法話  26,9,23

・9月になって、あの暑かった夏が嘘のように涼しくなり、今日23日、彼岸中日を迎えました。「暑さ寒さは彼岸まで」と、昔の人はよく言ったものです。しかし、今年は8月の後半から、今までの狂った夏のバランスをとろうと自然がしているのか、それとも、広島のあの災害が物語るように、他の場所でゲリラ豪雨で集中的に暴れているのかどうかはわかりませんが、いつもより、涼しくなったのが早かった気がいたします。
 
 今年は、仏様に導かれ、この涼しい秋でお亡くなりになった方々が何人かおりました。その方々のお戒名に『秋』をつけさせていただいた方がいます。『秋』は実りの秋、人生の充実した秋、人生を全うしてお過ごしになった、意味がございます。また、大正時代や昭和の初めにお生まれになった方々は、関東大震災や先の第2次世界大戦、戦後の混乱期、高度成長時代など、様々な困難と苦しみ、悲しみ、喜び、楽しみも含めて体験なさった方々といえます。高度成長時代には、金田沿岸地帯は埋め立てられ、京葉工業地帯と呼ばれるようになり、それこそ、子どもたちの面倒を見る余裕もないくらいに働かなければならない時代もお過ごしになったことでしょう。年をとってからやと生活の落ち着きを持ったと思ったら、もう80歳や90歳、といった方々も多かったのではないでしょうか。

 そういった方々を見送らせていただきました。人との別れは、悲しいものですが、人はいつかはこの私でさえ、そういう別れの時を迎えなければなりません。せめて、そういう大変な時代をお過ごしになった方々ですから、高い空の上から、残された方々、ご縁のある方々を見守っていただき、のんびりお過ごしいただくこと、この世でできなかったことをしていただけるように願うことが、私たちの幸せにつながるとともになくなった方々の供養になるのではないでしょうか。

 今年の秋彼岸の前半は、天気にも恵まれ、「吉祥院」にもたくさんの方々がお参りいただきました。線香をつけ、お墓参りをした後で、必ず、本堂のご本尊に賽銭を投げ入れ、手を合わす姿を拝見していると、先ほど述べさせていただいたような「実践」をなさる方の多さを感じました。「心」を大切にし、「実践」をする。これこそ、六波羅蜜の「布施」にあたるのだな、と感じた次第でございます。

 「西方浄土」の仏様に「南無阿弥陀仏」「南無大師遍浄金剛」・・・・・・・。住職。



・花々で飾られた「吉祥院本堂」ちなみにこの花は、「十夜報恩会」でも飾りにきていただいている花屋さん「森花」さんによるものです。








★(祝)モントリオール映画祭「審査員特別賞」受賞!!26,9,2

◎久しぶりに行きつけの喫茶店に行ってみて「びっくり」したこと。

   
26,2,5

富津市金谷の明鐘岬にある喫茶店「岬」のママ。ここのところ、ご無沙汰していたのですが、先代の住職をしていた竹岡の寺「延命寺」のお墓にお参りした後、久しぶりにいってみました。 
 行ってみてびっくり、いつもと違った所に建物が移動していて、なにやら様子が違っているのです。いつもの場所にいた、甥っ子の方がたまたまいたので、「おみせは!?」と聞いてみると、「通りの近くに移動してやっていますよ。」という返事。中に入ってみてママと話をしてびっくり。「今まで、吉永小百合さんがここで映画のロケをしていたのよ。」しばらく、来ていなかったのでわからなかったのですが、岬のママとこの喫茶店のことが「単行本」や「文庫本」にされていて、ベストセラーになっていてさらに、映画化されることになったのだとか。
   
 しかも、ママの役には吉永小百合さんが主演で、さっき会った甥っ子さんの役には、阿部寛さん、さらに彼のお嫁さんには、竹内結子さん、お店の常連の不動産屋さんの役には鶴瓶師匠が決まっているのでそうです。まだ、周りにはスタッフの方々がたくさん残って片付けをしていたようで、それでいつもと雰囲気が違っていたことに初めて気付いたわけだったのです。 お店でベストセラーとなった文庫本を購入し、女房殿と二人でママとお話をしながらいつものおいしいコーヒーを飲み、お店を後にしました。 
   
 ちなみに、ほんの名前は、「虹の岬の喫茶店」ですが、映画の題名は、「不思議な岬の物語」です。ポスターや本の表紙のイラストは、あの有名な和田誠さん。すごいなあ。カメラマンや脚本家の方々、スタッフの方々も山田洋次監督に近い方々がほとんどのようです。  喫茶店に行ってみたい方は、国道127号線を館山方面に向かい、金谷港を過ぎて一番最初のトンネルのすぐ手前を海に向かって右に入れば、そこに、小さな喫茶店「岬」があります。曲がり角には、「キーコーヒー岬」の小さな看板があります。ここには、素潜りチャンピオンのジャック・マイヨールや結構有名な方々が訪れていて、ジャズや懐かしい曲を聴くことができます。・・・・住職。
   ここのところテレビコマーシャルがいっぱいやるようになって、映像を見ているといつもの場所がたくさん出てくるしとっても身近な場所なんです。いよいよ公開が近いな、と思っていたら、なんとモントリオール映画祭で「審査員特別賞」というグランプリの次の位置の賞まで取ってしまうし、吉永小百合さんの初プロジュース作品だったこともまで知ってしまい、之はぜひ、映画館で見なくては・・・・・。それより、明日岬に行って、ママにお祝いを言ってコーヒーを飲んでこよう。・・・・住職。26,9,2
 店の中から東京湾を臨む。  





◎良い仕事をしてくれる方々その2 26.9.1


「吉祥院」版『ヒーロー』です。困った方々を助けてくれる方。たまたま知り合いました。 この方に助けられた方は、数知れず。アフガニスタン人はじめ、お年寄りから子どもまで・・・・。お名前は明かすことができませんが、私も困ったときには、「ヒーロー」に助けていただくことにいたしましょう。・・・・・住職。
前回春におじゃましたお店に、約束通り、息子と女房殿を連れて行くことができました。店長殿と久々の再会です。おいしい料理を出していただき、すっかりごちそうになってしまいました。 そして、前回知り合うことのできた若いアルバイト君。学生ですが、店長を補佐して、勉強中です。名前は、「umeちゃん(仮名)」夕方から朝4時まで気配りしながらお仕事をしています。もし、見かけたら声かけしてあげてください。・・・・住職。






◎本山「智積院」で『暁天(ぎょうてん)講座』に参加する。26,8.2

・本山で毎年行われている『暁天講座』。ほかの宗派でも行われており、夏の暑いこの時期に、ありがたいお話(法話)を聞かせていただく貴重な時間です。私の住職になって約10年。なかなかお話を聞きたいと思ってもなかなかこの時期に行く機会に恵まれなかったのですが、ご法事予定のお檀家様の協力もあり、弟子の義輝と二人、とんぼ返りでしたが、貴重な時間を過ごさせていただきました。本日の講師は、「戦場カメラマン」 渡部陽一氏です。

   
私の席は、智積院会館に宿泊しているので確保されているものの本堂正面、中程の場所。渡部氏からはちょっと遠いです。演題は、「世界からのメッセージ~平和と命の大切さ~」です。   しかし、後ろを振り返るとこんなにも大勢の方々が「朝のお勤め」開始前から待っているのです。
   
ざっと見て500人程度が私の後ろにいる感じです。   朝のお勤めが始まりました。いつもより短くて20分程度で終了。この後、私を始め、希望した方々が、不動堂での護摩に参加するために移動します。渡部氏のお話は、6時40分くらいから1時間程度だそうです。
   
 この後は、カメラや録音は、ご遠慮ください、と言うことで、残念ながら載せることはできません。  しかし、ご覧の通り、先ほどより倍以上の方々がお越しになり、外回廊まで人があふれ、渡部氏のお話をお聞きでした。その内容は、機会がありましたら、法事などの折にお話しさせていただくことといたしましょう。・・・・・住職。


























◎「住職彼岸法話」26,3,21

・『仏の居場所・人の居場所』

 先日あるお檀家様の先祖様のお墓が、永年の雨風で崩れてしまいました。考えてみれば、我々の家でさえ、何年も雨風に当てられ、痛んだところを修理しなければどんどんそこから痛みが広がり、最後には崩れてしまうでしょう。人間の体でさえ、どこか病気になったときには、お医者さんにみていただき、薬を飲んだり、必要ならば手術を施さなければ、命耐えることになってしまうでしょう。その家々によって事情も違いますし、病院を紹介したり、心配したり、教えてあげることはできますが、実際に体のことも取り組まなければならないのは本人のみです。同じく、家のことも、お墓のことも同様とおもいます。

 さて、先ほどのお檀家様は、お父様が亡くなったことで、ここ一番奮起をなさって、墓を直すことに決められました。それこそ、先祖代々、多くのご先祖様がお亡くなりになっているお墓です。このお墓に関わる方々は、近所の親戚のみならず、遠方の方まで多くのご親戚があるわけです。それでも、「施主」になったからには、その家の代表として、その役目を果たすべく、一大決心をなさったわけです。しかし、その決心に至るまでは、何度も悩まれたそうです。「自分はたまたま、父親が亡くなったわけで先祖の墓にお骨を入れてしまったために、施主となったわけで、個人の墓や今はやりの散骨、樹木葬という選択もできたわけだ。なぜ、俺は、こんな苦労をすることを撰んでしまったのだろう。」人間は、こんな場面にぶつかって初めていろいろなことを考えたり、調べたりします。きっとそのお施主様も、初めてこういう場面にぶつかったのだと思います。当たり前といえば当たり前なのですが、同じ場面を前に経験していれば、それがスキル(経験・学習)となって、このときにはこういう風にすればよいのだ、と行動できるわけです。しかし、初めての場面ではなかなかそういうわけには、参りません。でも、考えてみてください。ご先祖様だって、そういう風に悩みながら、その「家」を「時代」を築きあげてきたわけです。つまり「知恵」を授かってきたわけです。たった一人では、自分と向き合って一つの答えしか、なかなか見いだすことができない場合も、3人そろえば「文殊の知恵」。もっとたくさんの方々が知恵を貸してくれれば、それこそ「鬼に金棒」です。たまたま、直さなければならなくなったご先祖のお墓でも多くの方々が知恵や力を貸してくださることで、きれいに、しかも現代的に、無駄なく、ご親戚の方々や縁のある方々がお参りくださることのできるものに生まれ変わることができました。お墓が個人墓だったり、誰も知らないところに散骨していたならば、お参りすることもできなかったでしょう。お墓は、生きているときに、みんなが「家」に訪れてくれるのと同じで、なくなってもみんなが会いに来てくれる「場所」なのです。確かに散骨しても訪れてくれるかもしれませんが、「永遠に訪れてくれる場所」ということが、先祖代々墓のすごいことだと私は思います。

 一方、もうひとかたのお檀家様、自分の体も病気がちとなり、この先の行く末がだんだん見えてきて、このままだと、自分の親の墓参りもできなくなってしまうのではないか、と心配になってきた、とのご相談でした。結論として、親の墓を永代供養して、片付けることと相成りました。お寺によっても違うのですが、私の寺の場合、お墓を片付けても、お骨を上げたものは、集合墓の中にお納めして、さらにお墓は、有縁無縁墓の集まりの場所に移動、そのお墓の中心に観世音菩薩様がいらっしゃる。お位牌は、えんま様のところにお納めし、ご自分の家で仏壇の中に入っている場合は、お納めするまでは、白木のお位牌で、毎日朝のお勤めの時にお経をお唱えさせていただいております。その後、息子の義輝が、お線香を毎日、外の観音様、お地蔵様、献香台3カ所に上げさせております。夏になれば、お施餓鬼塔婆が護持会や住職、義輝、晃生やお檀家様の名前で上げられます。つまり、お墓を片付けたと言ってもそのお墓に宿る魂は、全然寂しい思いをしなくてすむわけです。それは、永代供養ですから、一つの仏様毎に対し、いくばくかの費用はいただきます。が、お墓を片付けたからといってもそれ以上の仏様の幸せがあるのです。ですから、お墓の心配な方においては、是非、住職までご相談いただければ幸いです。
 人の居場所もなくなってしまうと寂しい限りですが、たとえ亡くなっても、先祖様のお墓に入り、また、永代供養のお墓の仲間になっても、仏の居場所さえあれば、多くの方々が、お参りにきてくださることで、ご先祖様の魂は、寂しい思いをすることはありません。「お彼岸」、そのお中日に際しまして、ほんの少し、御法話させていただきました。・・・・・合掌。・・・住職。



・亡くなった新仏のために、「地蔵札」を地縁・血縁の方々ともに境内の地蔵仏に貼っていきます。写真は吉祥院境内にある「十三仏」中のお地蔵様。














いつもお世話になっている「天倶屋(仏具)」さんを紹介いたします。

良い仕事をいつもしてくださいます。ご依頼希望のある方は、ご紹介いたします。

   


◎川崎大師に行ってきました。

   
  納めの12月21日は法事が入っていたのでその前にお参りさせていただきました。楽しみは、「住吉」の久寿餅。甘くておいしい! 



◎袖ヶ浦在住の仏師「鈴木謙太朗」氏、来院す。25,4,17

   
氏のプロフィール

鈴木謙太郎 木彫作家 仏師
1981/3/19生まれ
子どもの頃からものを作るのが好きで
京都伝統工芸校で伝統工芸の欄間の彫刻を学び
仏像彫刻を経て木の知識、技術を学び
大阪、あさば仏教美術工房、向吉悠睦氏に師事
独立後、千葉県袖ケ浦市で工房を開き
「雲竜」で市原工芸大賞受賞
個展を各地で開催
千葉県内のお寺にも納めています。

「木菩りの会」仏像教室の講師をしています
 
 過日、喜光院での展示会を拝見した折り、吉祥院にもどうぞ、いらしてくださいとお話をしたところ本日、お地蔵様をおみやげに吉祥院を訪ねてきてくださいました。早速、魂入れのご法要をさせていただき本堂に安置いたしました。作品の素材は楠だそうで防虫効果があるそうです。、
   
 お地蔵様の顔を彫るときには、3歳になるお嬢さんを心に描いて彫るのだそうです。  実物のお嬢さんのお写真は、とってもかわいらしくてお話の通りでした。・・・住職。









◎「写仏」の奉納25,4,13


・過日、吉祥院本堂正面に観世音菩薩・地蔵菩薩の「写仏」と蓮池の「切り絵」の御奉納をいただいた永嶌弘子氏より、本日「十二天仏」の写仏の御奉納を賜りました。ここに、厚く御礼を申し上げるとともに一足早くホームページ上で写真をご覧の皆様にご紹介申し上げます。なお、元絵は京都の「東寺」にある十二天仏でございます。・・・・住職。

     
 帝釈天たいしゃくてん(東を守る)  火天かてん(東南を守る)  焔摩天えんまてん(南を守る)
     
 羅刹天らせつてん(西南を守る) 水天すいてん(西を守る)  風天ふうてん(西北を守る) 
     
毘沙門天びしゃもんてん(北を守る)  伊舎那天いしゃなてん(東北を守る)  梵天ぼんてん(天を守る) 
     
地天ちてん・(地を守る)  日天にってん・インドの古代神話の神(日輪を象徴する)  月天がってん(月輪を象徴する神) 

◎設置工事完了する。25,4,24
   
廊下だったところの壁に桟を渡し、絵が掛けられるようにする。   絵は、方角を決め、実際にその方向を向いてあるように掲げられるようにガムテープを貼って場所決めをした。
   
反対側にも同じように桟を2本渡す。   向かい合わせに十二天仏の絵を掲げて終了した。・・・住職。


◎平成25年「春彼岸」法話

・今日は彼岸仲日。当寺にもたくさんの方々にお参りをいただきました。中でも、今年気がつきましたことに小さなお子さんをお連れになってお参りする方々が非常に多かったこと。一緒にお手綱の鈴を鳴らしたり、鉦鼓を鳴らしたり、子供みくじをおうちの方にねだったり、と賑やかな声が境内に響いておりました。

昨年、「幸せ」についてご法事の折にお話しさせていただいたのですが、ご祈祷の札の一番多い願い事が「家内安全」です。家族が幸せであること、家族一緒に楽しい時間がもてることではないでしょうか。

次の時代やまたその次の時代を担う方々と、ご先祖様や菩提寺にお参りする。そんな幸せなひとときを私はかいま見させていただいたわけです。「教え」というものをぎゅうぎゅうと教えられるのではなく、こんな風に自然と結果として教えられ、身についていくものなのではないでしょうか。

「幸せなとき」「家族団らん」一番小さな社会の元であるご家族が、その幸せの根本なのですね。今回は、「家族について」のこのお話を「春彼岸法話」とさせていただきます。・・・・住職。







◎「秋彼岸法話」24,9,19


・今日、19日が彼岸の入り。あいにくの雨模様ですが、多くの方々がご参詣になられています。




・雨宿りをする方、線香の順番を待つ方、護摩木を書く方、それぞれのスタイルでお参りを楽しむ。
そんな気さくなお寺です。このようにいたるところにベンチが用意してございます。


先日、東京日野市の「高幡不動尊」に朝護摩(朝5時)に参加してまいりました。家族3人で行ってきたのですが、「広さ2万坪・・・・。」のお話と、「しかられる幸せ」をいつも御山主の川澄様がなさっていたのですが、お話をされなかったので、職員の方に、お話はやめられたのですか。とお尋ねしたところ、「あのお話は、いつもしてばかりいる。」 と、お参詣の方から言われたから、やめたようです。とのことでした。いろいろお感じになる方がいるのが当たり前ですが、私にしてみれば、出来るだけ多くの方々が、知ってほしい、との願いで、きっと川澄様がお話をしていたのだと思います。

私のお寺では、「今月のお言葉」でそのことをその都度どんな内容にするか、出典を選んだり、自分で考えたりして、掲示しています。でも、1本の筋を通してつながっている思いはたいがい同じです。「生きているものも、亡くなっている方々も同じように優しく接してあげたり扱ってあげること。」また、お寺や墓地は、そのみんなが住んでいたり学びあっている場所で、「一人のものではないこと」「宝灯を護るために、みんながそれぞれの役目を果たしていくこと。」が大切だということです。

高幡不動尊の川澄御山主も、今、ご自分に出来ることを一生懸命にやっているのだな、ということが先日いただいた「山報だより」からも伝わってまいりました。私も、私に出来るものしかできませんが、出来るだけのことをこれからもしてまいる所存でございます。

平成24年秋彼岸に際しまして、これを「彼岸法話」と致します。・・・・住職。














◎智山青年会「千葉県大会」24,6,29開催

   
 会場は、市原市市民会館。  御詠歌の方々は65名。
   
 観客は、ほぼ、500名。ほぼ、満員です。  「声明(しょうみょう)」お導師は、喜光院住職中村氏です。花籠を持ち、紙の花びら「散華」をお経を読みながら蒔きます。
   
 後方には、正光寺蔵の「釈迦涅槃図」。  絵解きをするときには、プロジェクターで拡大投影したものを岡澤先生が、70分にわたって、お話ししてくださいました。手前にあるのは、私のテープレコーダーです。今回は、ばっちり、60分ほど録音できました。機会がありましたら、皆さまにもお話しできるといいな、と思います。・・・・住職。









◎住職新年法話 24,1,9

 「人間関係 よりよくするには」

日経新聞1月7日付「NIKKEI プラス 1」より

「人間関係をよりよくするために」と題して、20代から60代を対象に有効回答男女とも1000人にアンケート調査した回答結果が寄せられ、まとめられた。以下はそのランキングと内容である。紹介いたします。・・・・・住職。

1位
「ありがとう」とごめんなさい」は必ず言う。 
2位
笑顔で必ず挨拶する。
・人間関係は、この気持ちがなければ始まらない。(50代男性)
・当たり前のことだけど、口に出して言うことが大事。(30代女性) 
・1日の始まりに、明るく挨拶すると自分も元気になる。(30代男性)
・挨拶次第で、職場の雰囲気が変わる。(20代女性)
3位
了解した約束は必ず守る。実行できない約束はしない。
4位
嘘は言わない。ごまかさない。
・約束を守らないと、信用・信頼を失う。(60代男性)
・たとえ、口約束でも必ず守る。(60代男性) 
・嘘は、嘘を呼んでしまう。(40代男性)
5位
自分がされて嫌なことはしない。 
6位
必要な情報はしっかり共有する。 
・常に自分に置き換えて考えることが大事。(50代女性)  ・状況がわからないと不安になったり、疑心暗鬼になったりする。(50代男性) 
7位
相手の立場になって考える。 
8位
話を聞くときには、相手の顔を見る。 
・相手を思いやる想像力と共感力が信頼や絆の原点。(60代女性)  ・最も簡単で最も重要なコミュニケーション術。(20代男性) 
9位
本人がいないところで、悪口やうわさ話をしない。
10位
「親しき仲にも礼儀あり」を徹底する。
・本人のいないところではほめ、不満があれば直接言う。(60代男性)  ・ちょっとした非常識な言動で人の見方は変わる。(30代女性) 

11位以下は省略します。自分にも当てはまる場所がありますが、つい最近のことで思い出すのが、「東日本大震災」のときのあのCMです。「A.C」です。おはよう、ありがとう、こんばんは。いただきます、お休みなさい。ごめんなさい。・・・・。やっぱり私はこれが基本だと思います。皆さんは、いかがお考えですか。・・・・・住職。







◎宝灯を守る。その2 

 近所の奥さんとの会話から、「どうして、お父様は出て行かれたのかしら。」「それは身体をこわしてもう、住職としての仕事を全うできないので自分からやめて、出て行ったのです。親子であって親子でなし。おまえと俺とは弟子と師匠の関係だから、これから先、おまえが成功しようが失敗しようがそれはすべておまえの責任で寺を運営して行きなさい。俺の仕事は、ここまで。俺が死のうが、具合が悪かろうが、一切連絡はしない。おまえも俺はもう死んだ者として連絡も一切よこすな。」こう言い残して先代は寺を出て行ったのです。
 
 普通の親子であったならば、家庭というものがあり、そこに幸せというものを見いだすのでしょうが、住職という仕事、坊主としての仕事の関係で生きてきたわけですから、弟子に後を任せてくれた、ということが、優しさであり、励ましであると私は思っています。ましてや、普通は死ぬまで住職という座にあり、力を見せつける人もいる中、自分のことは自分で理解し、自ら退路を断って出て行くのですから、これも勇気のいることだったと思います。風の噂では、もう母親も亡くなり、父親は妹たちが面倒を見てくれているようですが、兄弟にも感謝しています。親子としての役割をしてくれているのですから。

 生きている間に二度と父親に会うことはないと思いますが、風の便りで私の住職としての仕事を、坊主としての仕事を見守ってくれていればよいと思っています。先代住職の仕事を受け継ぎながら、自分は自分としての寺作りをしていくことが今の私の重責だと考えております。もちろん、宗派や寺の形態によって様々な考えや教えもあろうかと思いますが、先日にも書かせていただきましたが、やり方については個々の寺によって違うと思いますのでここでは申し上げませんが、それこそ、住職の「得意技」も人それぞれ、ということになりましょう。

 「それでも教えていただきたいこともあるでしょう。」という心配してくださる近所の奥さんへ時間がなかったのでお答えできなかったのですが、そういう時には、私には、相談できる「仲間」がおります。身近な一人としては「喜光院」御住職、上総第三教区の青年部僧侶、御住職の諸先輩方、etc,・・・・・。同じ道を歩んでいる仲間たちがいるのです。この方々の存在は、何にも代えることはできません。いつもありがたいなあ、と思っている方たちばかりです。どの世界でも、自分の行おうとしている仕事の「先達(せんだつ)」先に経験してきた方々がおります。私の悩みはそういった方々に解決の糸口を頂戴することで成り立っています。
 
 亡くなった方々を守って導いてくださるのも、ご本尊様・・・先達・・・・なのです。あの世のことも先に到達している方々のお力を頂いて手をさしのべてくださっているからこそ、不安な中にも一筋の光が差し込んでいくのだと思うのです。ご法事もそういった仏様の力を頂いてお願いすることが大切と考えます。私は、そんな皆さまのご供養のほんの少しでもお力になれたら幸せ、と思います。





◎宝灯を守る。 

長年続いてきたお寺が檀家の人の数が減ったり、住職が居なくなって他の寺との兼務となると、なかなか目が行き届かなくなり、やがては荒れていく運命にあると聞きます。
事実、地方に行くとお堂だけが残り、墓はあとをする者が都会に出てしまってだれも面倒を見る者がなくなってしまい、荒れ放題ということがたくさんあるようです。島部となるとなおさらのようです。

「守る」ということは、何を守るにしても大変なことで、お金もかかるし、いろいろ工夫もしなければならない。その時代時代にあったやり方も時には必要なこともあるでしょう。「家族」を守る。「会社」を守る。「身体」を守る。「寺」を守る。「檀家」を守る。「心」を守る。・・・・etc。

都会の寺のなかには、不動産を経営したり、土地を貸していたりして、裕福な寺もあるでしょうが、そんなところはごく一部で、たいがいどこの寺もいろいろなやりくりをしながら寺を守っていると聞きます。その支えとなるものは何かというと、人々の「信仰」によって支えられているのだ、と私は思います。もちろん、「檀家」の人たちや「信者」や「講」「護持会」という組織の協力も大切であることはいうまでもありません。しかし、その方たちでさえ、「信仰」というものがなくなってしまうと、どんなに「昔は立派な寺だった」といってもどんどん寺は衰退していってしまうこととなります。

それでは、どうすればよいか。これは、魅力的な寺を創る。この一言に尽きると思います。「檀家」「信者」「講」「護持会」などの組織と協力し、建物や境内を整備していくことも必要と思いますし、何よりも大切なことは、「信仰」「心」を耕してさし上げることが大切と考えます。そのやり方については個々の寺によって違うと思いますのでここでは申し上げませんが、それこそ、住職の「得意技」も人それぞれ、ということになりましょう。

ただ、何もしないで通り過ぎてしまうと、その時は楽をしていいかもしれませんが、あとになったら、手遅れだと思うのです。今やらなければならないときには、今、やらなければ、いけないのです。そうすることで、あなたも、先祖も、その後に続く子や孫たちも、救われるのです。近隣寺院の御住職の葬儀に参加して思い、書かせていただきました。(ちなみに、そのお寺は一致団結してご立派でした)・・・・住職。 (別件、政治もインフルエンザ対策も早ければ早いほど、傷は浅くて済むはずですよね。)




◎「足るを知る」

今日は、御彼岸の仲日「春分の日」です。西方浄土にいらっしゃる仏様のことを想い「ご先祖様のことをよろしくお願いいたします。」と、日々の感謝をあらわし、お願いする日です。

よく、「六波羅蜜」が大切だ、と言われます。
「布施」・・・他人への施しをする
「持戒」・・・戒めを守り、反省すること
「忍辱」・・・不平不満を言わず、堪え忍ぶこと
「精進」・・・精進努力をすること
「禅定」・・・心を安定すること
「智慧」・・・真実を見る智慧を働かせること

このすべてが出来れば、仏様に近づくわけでありますが、なかなか努力が足りず、すべては出来そうにありません。
しかし、普段の生活の中で、人があなたに優しくしてくれているのに、それがあたりまえのことになっていて、気づかないことが実はたくさんあるはずなのです。

「お足が痛いでしょう」と座布団を勧めてくれる。「お疲れだったでしょう」と、茶を一杯勧めてくれる。あなたのお話を聞いてくれる。などなど・・・・。

これが、「そこいらへんにすわってください。」「お茶もいらないですよね。ほしい人は自動販売機でも買って飲んでください。」「忙しいから、お坊さんはお経だけ読んでいればよいので、話をしません。」・・・・・・こういう対応をされたら、うれしいですか。でも、本来は、自分はお寺に何をしに来たのか、と問われたら、「ご法事に来た。」「お参りに来た。」わけですから、目的に達しているわけです。でも何か、気持ちは良くありませんよね。

そこで、先ほどお話しした、「六波羅蜜」が必要になるわけです。もっと簡単に言えば、普段何気なく感じていることが実はあたりまえのことではなくて、皆が「思いやり」を持ってあなたに接してくださっていることへの「感謝」を感じなければいけないのです。そのことに気づかなければいけないのです。もし、気づいたら、言葉や態度で相手に対しても表せればよいわけです。

「足るを知る」つまり、今あなたがここに生きていることが出来ているのは、皆のおかげ、ご先祖様のおかげなのです。
なかなか、すべてのことは出来ないかもしれませんが、おこなおうと努力し、日々を過ごすことで幸せはやってきます。

御彼岸の仲日に際しまして、これを「住職の法話」とさせていただきます。・・・・・住職。







◎「元気なお年寄り」

「命の洗濯」といったら贅沢でしょうが、岩手・秋田県方面にうちの息子を連れて、旅に出て参りました。もちろん愛車のスマートを駆って、片道600キロの道程を走って参りました。たまたま泊まったホテルが「全日本マスターズスキー選手権」の会場のホテルでだったのですが、老人といったら失礼なほどのお元気さ、賑やかさなのです。飛騨高山や京都といったナンバーの車を自分で運転しての会場入り、そうでない方は、飛行機や新幹線を使って荷物も自分で運んでの会場入りの方々。一番若い方が55才以上、最高年齢は、90才近い方が何人もいらっしゃる。その方々が年齢別に分かれて、大回転の競技をするのですから。また、女性も含めて、その出で立ちがすごい。レーサースーツを身にまとい、長い板でスーーーッと滑っていくのですから。朝食会場でもよく食べて良くしゃべる。そこで

私が感じたことは、何か目的や楽しみがある人はこんなにも元気なのか、ということ。以前、104才で亡くなられたお檀家様のことを書かせていただきましたが、その方も102才まで畑を耕し、作った野菜を誰かに食べていただくことを喜びにしていました。

世知辛いこの世の中、食べるだけでも大変な方々がたくさんいる中で、遊ぶことの出来るということは幸せなこと。でも忙しい中、辛い生活の中でも、自分の幸せを見いだそうとしなければ、何をやっても、何を見ていても辛く生きていくのがいやになってしまう世の中です。だったら、「生きる望み・楽しみ」を心の中に持ち、この現実と戦っていく方が、どんなにか、力が湧いてくるに違いありません。「あなたの近くに仏様がいるのです。あなたの心に仏様がいるのです。そして、あなた自身が仏様なのです。」・・・・・住職。



ある日の「墓地・墓石改装」の話

私が留守の時に、お施主さんと石材業者さんが見えて、これから墓地の改修をさせていただきますと、ご挨拶に来られました。
吉祥院では、出入りの業者さんの指定は行っていませんが、改修前と終えたあとには、きちんとご供養をしていただいてから工事をしていただくようにしています。普段は、いつから工事にはいるのかお話しがあったあと、きちんとご供養してから工事に入っていただくのですが、たまたま私は留守だったのと施主様がこの流れがわからなかったことが重なり、いきなり工事を始めてしまったのです。妻からこの話を帰ったあと聞いて私は、びっくりして現場を確認し、妻にも注意したのですが、お施主様にもさっそくわけを説明し、次の朝、工事業者にも話をしてご供養をしてから工事を再開していただきました。

理由は、一つは、お墓は、一軒の家の仏が眠っているだけでなく、檀家の皆さんの家の仏が眠っている場所であること。工事の詳細について説明がないまま、工事をした場合、他の家の墓に迷惑がかかることがあること。二つ目は、自分の家に人が住んだまま、工事をするのに普通は、説明がないまま家の工事の場合もやりませんし、時と場合によっては、別に住む場所を用意してから工事を始めますよね。仏の場合も同じことです。供養をしてきちんと言い聞かせてから、安心させて工事に入れば、びっくりすることもないわけです。そうでないと、「オイオイ、いったいこの騒ぎは何だよ。」ってな具合になるわけです。お骨も預けなければならない場合もあるわけです。

そして、私がいつも法事の時にお話しさせていただいていること、「生きている者にも、亡くなった方にも同じに優しくしてあげてください。そうすることで、必ず、御利益はありますよ。お天道様は見ていますよ。」ということ、以上です。







【戒名】について


「お亡くなりになった方に戒名を授ける」ということは、生前の功績だけ、で私は戒名をお授け致しません。なぜならば、「残された方々」が亡くなられた方をどう供養していくか、が決まってしまうからです。私はいつも法事でお話ししているのですが、「生きているときと同じように亡くなられた方を優しく扱ってあげてください。」ということです。自分のお子さんが生まれたときに「この子はどんな風に育つのだろう。」「・・・・・・・・こうあってほしい。」という願いを込めて、愛情を持ってお名前を決定しますよね。私も亡くなられた方があの世で安らかにお過ごし頂きたい。また、残されたご家族にも仏様が寂しい思いをしないように御供養をきちんとして頂くお約束をしてから、戒名をお授けさせて頂いております。仏がどう生きたか、ももちろん考慮して、さらにご先祖様と共に、残されたご家族も守って見つめて頂く。そんな心の交流が大切と考え、私は、悪い戒名なんてものは、決してあるとは思いませんし、つけたくはありません。






●渡邊師の死を悼む。22,4,21

・袖ヶ浦市という、私の寺の隣の市にある飯富寺の御住職が逝去された。この方を知ったのは、私が4年前住職になってからだが、この方のすごいところは、お寺というお寺にほとんど参っているところ。観音霊場もそうであるし、もちろん薬師霊場とか、とにかくその数のすごさである。そしてその詣るときの美しい時期も熟知している。どうせ行くならただ詣るのではなく、その楽しさを2倍3倍楽しむことのできる知識だ。だから、師のもとには、多くの「渡邊信者」が集まり、しかも自らがバスの運転手として皆を導いていくのである。私の住む上総第3教区の研修会で秩父観音霊場3か寺団参をしてから、私の現在の寺参りの原点がある。つまり、この方なくして私の寺参りはあり得なかったのだ。

仏教というのは「理論」と「実践」があります。私は理論も大切ですが、実践仏教にどちらかというと興味があります。理論も大切だが、うだうだいっているよりまずやってみよう、と言う考えです。そして何より、自分が実践することで、良いところ悪いところ、必要なこと、いらないことが見えてくることです。師と会話をした最後の話は、やはり観音霊場の話でした。「加藤さん、リンゴの花が咲く頃の青森の観音霊場巡りはいいよう。桜の咲いている頃の信州もいいけれどね。」御大師様の入場した旧暦3月21日に導かれて旅立つ渡邊師に心から、・・・・・・合掌。・・・・・・・・・住職。



在りし日の渡邊師・秩父観音霊場にて。












◎ 「十三仏様」について



「十三仏」とは、
不動明王ふどうみょうおう(初七日) ○釈迦如来しゃかにょらい(二七日) ○文殊菩薩もんじゅぼさつ(三七日)○普賢菩薩ふげんぼさつ(四七日) ○地蔵菩薩じぞうぼさつ(五七日:注:閻魔様えんまさまはその化身である) ○弥勒菩薩みろくぼさつ(六七日) ○薬師如来やくしにょらい(七七日) ○観世音菩薩かんぜおんぼさつ(百ヶ日) ○勢至菩薩せいしぼさつ(一周忌) ○阿弥陀如来あみだにょらい(三回忌:注:2年目) ○阿閦如来あしゅくにょらい(7回忌:注:6年目) ○大日如来だいにちにょらい(十三・十七・二十三・二十七・三十七・四十三・四十七・五十回忌:注:全てその1年前が当たり年となる) ○虚空蔵菩薩こくうぞうぼさつ(三十三回忌:注:32年目)のことでる。

 前述の仏が、『亡くなった仏に対しての冥土の裁判』でその審理において「弁護士」の役目を務めることになる、とされている。



1.『不動明王』について

吉祥院脇室不動明王 東京都日野市「高幡不動尊」不動明王


「ふどうみょうおう」は、密教特有の尊格である明王の一つ。 大日如来の「教令輪身」とされる。「教令輪身」(きょうりょうりんじん)とは、仏法に従わない物を教化し、仏敵を退散させる実践的な働きを表す。つまり、簡単に言うと、煩悩を抱えてもっとも救いがたい衆生をも力ずくで救うために「忿怒」(ふんぬ)の姿をしていると言われている。

「不動明王」を本尊とする寺は非常に多く、「成田山新勝寺」「高幡不動」「目黒不動」等々、数多くきっと檀徒・信者の方々の限らず、お参りしたことがあるでしょう。特に「成田山」は、新勝寺だけでなく、様々なところに末寺が置かれ、別院・不動堂・教会等たくさんの寺院を有している。木更津市内だけでも、新宿に「不動堂」金田に「教会」があり、それぞれ住職がその教えに従い、興隆仏法に努めておられる。形は違っても、皆、「不動明王」を本尊としている。

また、本尊ではないが、各寺院に不動明王がいらっしゃるお寺は多く、護摩を焚いて祈祷したり、滝のあるところに、修験者を守る本尊として、そのお役目を果たしている。「吉祥院」では、本尊脇室で、お閻魔様と共に、歴代住職のお位牌や、永代供養の位牌、戦死なさった方々の遺影を御守りしながら、私たちをお救いする役目を果たしておられます。



2.『地蔵菩薩』について


 

上の写真左は、吉祥院境内の子安地蔵。右は、吉祥院脇室にいらっしゃる地蔵菩薩座像(文化十二年作)。

上の写真左は、長野県「典厩寺」山門前の六地蔵。右は、山梨県「恵林寺」の武田地蔵菩薩座像。


「地蔵菩薩」じぞうぼさつとは、釈迦の入滅後、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を輪廻する衆生を救う菩薩とされる。
35日の守り本尊で、「子どもの守り神」として信仰される。浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生のかなわない衆生は、必ず地獄に堕ちるものという信仰が強まり、地蔵に対して、地獄における責め苦から救済を欣求するようになった。それと同時に地蔵を閻魔の本地仏と考える信仰も広まった。

地蔵像は、密教では、胎蔵界曼陀羅地蔵院の主尊として菩薩形に表されるが、一般には、僧侶の姿で袈裟をまとい、左手に念珠右手に錫杖を持つ形(写真・吉祥院中:地蔵菩薩:文化12年製作・明治17年再色彩のもの)または、左手に宝珠右手に与願印(掌をこちらに向け、下に垂らす)とする形の像が多い。
菩薩は、如来に次ぐ高い見地に住する仏であるが、地蔵菩薩は「一切衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ」との決意でその地位を退し、六道を自らの足で行脚して、救われない衆生、幼くして散った子どもや水子の魂を救って旅を続ける。「閻魔王」と「地蔵菩薩」は同一であるのは、姿を変えることで人々を事細かに見ているためで、綿密に死者を裁くことができるからだ、とされている。つまり、閻魔はお地蔵様の化身なのである。また、35日の供養をする意味は、その日に極楽行きか地獄行きかを閻魔大王自らが審査する日とされ、49日忌に次いで大切な日だからである。


3.『観世音菩薩』について

上の写真は、左が吉祥院の無縁仏様の所にいらっしゃる聖観音様。右は、境内の十三仏様の中のお一人の観音様である。


◎観音経などに基づいて広く信仰・礼拝の対象になっている仏様である。また、般若心経の冒頭に登場する菩薩でもあり、浄土宗では、感無量寿経の説くところにより、阿弥陀如来の脇侍として、勢至菩薩と共に安置されることも多い。
観音像には、基本となる「聖観音」(しょうかんのん)の他、「十一面観音」(じゅういちめんかんのん)、「千手観音」(せんじゅかんのん)「馬頭観音」(ばとうかんのん)、「如意輪観音」(にょいりんかんのん)、准胝観音(じゅんちかんのん)の六観音がある。六観音は、六道輪廻(ろくどうりんね、あらゆる生命は、六種の世界に生まれ変わる)の思想に基づき、六種の観音が、六道に迷う衆生を救うとと言う考えから生まれたものである。全ての世界のあらゆる人間に優しく接し、悟りを説く仏としての役割を持つ。
これは、「地蔵菩薩」の時と同じで、観音様にお慈悲を乞い、『どうか百箇日の守り本尊である観音様。亡くなった私の愛するあの人が迷わず成仏できるよう、お願いします。』と多くの人々が法要を行うわけはここにある。『観音寺』という名前の寺や観音様をお祀りする寺が多いことも納得がいく。「浅草観音」や「大船観音」、「高崎観音」、近くには富津市の「東京湾観音」がある。



4.『弥勒菩薩』について



吉祥院十三仏中の弥勒菩薩座像 吉祥院檀徒「・・・・・・家先祖」弥勒菩薩墓


◎「弥勒菩薩」とは、釈迦の入滅後、五十六億七千万年後の未来に姿を現す未来仏である。現在は、兜率天(とそってん)で修行していると言われている。このため、中国・朝鮮半島・日本において、弥勒菩薩のいる兜率天(とそってん)で往生しようと願う信仰(上生信仰)が流行した。
五十六億七千万年後という、気の遠くなるような数字は、弥勒菩薩のいる兜率天(とそってん)での一日が地上の四千年にあたり、弥勒菩薩の兜率天(とそってん)での寿命が四千年であることから4000×4000×365がおよそ56億7000万年で、その後、下界に下りてこられるという計算に由来する。

「弥勒菩薩」は、日本では七福神の一人である『布袋様』が中国では、弥勒菩薩の化身とされ、下界に下りてこられたお姿として「弥勒如来」として仏堂の正面にその破顔と太鼓腹で膝を崩した風姿のまま祀られている。

また、沖縄では、『ミルクさん』として弥勒菩薩のお面を顔にかぶり行う祭りがある。祭りでは、その姿で歩き回る。各地方で多くの信仰が厚かったことは、かたちこそ違うといえ、吉祥院でも多くの墓に亡くなった仏の成仏を唱えそのお姿を見ることができる。上右の写真やこの項の下の写真からも伺うことが出来るはずである。

吉祥院檀徒・・・・・・・・家の先祖墓 吉祥院有縁無縁墓石群の中にも弥勒仏のお姿が・・








続きは、また、後日。