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本堂脇室にいらっしゃる「お閻魔様」。いつも私たちの行いを正しい方向へお導き下さいます。お陰様をもちまして、3月1日(木)に無事、御修繕にお出になられました。 | 御修繕のために初めて、お出になった閻魔様です。ここにいるお二人は、『天倶屋』の加納さんとお寺の山号額の修復もおこなってくださった名古屋在住の彩付け師さんです。 |
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3月1日(木)当日は、世話人さんやご供養に参加してくださった方々も何人か見え、初めて見るお背中や体内より何か書き付けが出てくるのでは、と言う期待感でいっぱいでした。 巻物は残念ながら出てはこなかったのですが、背中の内側部分に作った方の墨書きがあり、作った方とその時代が初めてわかることができました。 また、山門のお堂があった時代には、「おびんずる」さんのようにお顔の下のあごの部分などは、たくさんの方になでられた跡も見つかりました。それ以外は、予想通り、お護摩の焼けこげやネズミにかじられた跡、体内はネズミの巣だらけ、経年による塗り物のはがれなどでした。 | 『天保15年 東都本町三丁目住 大佛師 萬屋祈助 之作』の書き付けが背中の内側に書かれておりました。だいたい今から180年くらい前の物だと言うことが初めてわかりました。 8月1日前後に、開眼供養の予定です。お申し込みになった方々には、開眼日が決定次第、お知らせ致します。ありがとうございました。 |
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19年4月6日(金) 閻魔様をお迎えするのに、傷んだ本堂脇室を檀家の「武内建築」の頭領にお願いして、改修するjことにした。床板をはがしてみたところ、・・・・。 | まさか、この下から石仏さんが出てこようとは・・・。この床板は、ちなみに松材で作られていました。 |
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床下の板をはがしてみたところ、なんと床下から古い墓石が発見された。 | 昭和11年に本堂を新築した折りに、紛れ込んだ物と思われる。きれいに洗ってさし上げたところ、阿弥陀如来を彫った墓石であった。 |
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戒名を刻んだ跡もはっきり確認できた。 | 観音様の無縁仏様の所に安置した。 |
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はずした板をもう一度はめ直し、「檜舞台」という名の檜の板を1枚1枚寸法を合わせながら貼っていきます。 | 黙々と、頭領は仕事をしていきます。 最後の1枚を柱にあわせて切り込みを入れ、金槌でたたいて入れ、床板は、名前のごとく、「檜舞台」へと変わりました。 4/6 17:05 |
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4月7日(土)大工さんの仕事も2日目になりました。床下が完成し、閻魔様をお迎えして鎮座していただく台座の工事にかかりました。 | 4月7日(土)大工さんの仕事も2日目になりました。床下が完成し、閻魔様をお迎えして鎮座していただく台座の工事にかかりました。 |
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また、その関係で台座下の物置室の掃除をしたところ、お護摩で使っていた道具や大太鼓も発見した。護摩柄杓は使えそうだが護摩の釜はぼろぼろで使えそうにないので、リサイクル業者へ、その他の古い経机等はお炊きあげすることにした。 | 大太鼓は、鼓のヒビと太鼓の革の破れがあるので、「天倶屋」さんへ使えるかどうか、調査の依頼をすることにする。この物置の完成にあと1日かかる見通しである。・・・・4月9日(月)10:15 |
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台座下の納戸となった物置の部分。床材は同じく檜板で作られている。 | 4月10日(火)閻魔様の台座下の物置もきれいに仕上がりました。 引き戸は杉板(赤)で作られている。引き戸を閉めるとこの通り。美しくなった。 |
大壇も文化14年、江戸時代のものであった。 | 黒漆もはげ、動かすとボロボロと落ちてくる。 |
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代々先住住職の位牌も松食い虫等にやられてボロボロであった。下のほうの台は処分し、大工に位牌段を作ってもらい差し込んでお納めして使えるようにした。 (下にあるお位牌は、永代供養のお位牌) 19.5.18 | 脇室の建具は見つからなかったので、頭領にお願いして、線香の煙やろうそくの火の空気の流入を確保するために、ルーバーを作ったもらい、はめ込んだ。 19.5.18 |