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◎「脇室閻魔前」床下工事の記録。 令和5年11月

 『十夜報恩会』に向けて 5,11,10




(上は、修繕中のようす)


   
畳を入れ替えし、新調しようとしたところ、下の根太が6.5cmも落ちてしまっていることがわかり、急遽、お檀家様の武内大工にお願いして「十夜報恩会」の前日と前々日の9日,10日の2日間で床下の修繕をお願いすることとなりました。   この様にほこりがかからないように養生をして作業開始です。
   
畳を上げていきます。   床下の板は以前に、閻魔様を修理した時に気になる箇所があったので何枚か、変えて頂いてあります。
   
それでも今回は、傷んだ板を変えるだけではだめなので、この板の下の組んである根太を交換、組み直していってもらいます。   まずは、板を一枚一枚剥がしていきます。
   
いちばん太い物は今回は手を付けません。なぜならば、本堂の基礎となり、閻魔様や毘沙門天のいらっしゃる所まで一本ずつ、何本かでその建物を支えるための土台となっているからです。   細いといってもかなり太く、柱と同じくらい太い物ですが、この木を切って外していきます。上板を支えていた部分です。
   
   
   
 この様に残らず、切って太い木だけになりました。  この後、細かく柱となる部分を付け加える作業となります。
   
地面の部分にあるコンクリートで出来た所に、柱を作り、その上に来る横柱を載せることで、上に板を敷いた時かかる重圧を分散させる作りをするようです。  この様に格子模様に柱を組みます。本日は、ここまでで終了。この続きは、翌日、10日に作業してくれるとのことです。 
   
大工の棟梁は、天気が悪くなる予報から朝、7時過ぎには作業を開始してくれました。   はめ込む板を頭領の家の作業場で加工し磨き、現場あわせで長さを合わせてはめ込んでくれています。
   
力がかかるところには、柱を立てに使い、その上にこの様に板をはめ込んでいきます。  10時のお茶もそこそこに、ひたすら作業を続けてくれました。 
   
敷居の部分にはめ込むために長さを合わせて後半は板を取り付けていきます。   もうすぐ完成間近です。時刻は、まだ、昼前です。外は、雨が降り出した模様です。
   
最後は、本堂との敷居の部分とのはめ込みです。  細かな作業のため慎重に作業を進めているようです。 
   
昼飯を食べに頭領が一旦、家に帰った後、13時30頃には、作業を終えました。   作業が完了したところで、佐久間畳店に連絡し、畳を入れる寸法を測ってもらうために、畳屋さんに来て頂きました。畳を入れるためには、現場で正確に計らないと、どことしても同じサイズの畳はないのだそうです。本当に細かに糸や木尺などを使って測っておられました。
   
 今までの畳を運んでもらいました。かなり年季の入っている物で、『わら床』で「昭和時代」の物のようです。  場所が決まっていて裏書きを確かめながらはめていきます。
   
 残り、後二枚。  床がしっかりとしたので、古い畳でも新品と見間違うようです。
   
この木の廃材は、君津市産の江戸時代の松だそうです。大工の棟梁に廃棄物として持って帰ってもらいました。  これで『十夜報恩会』を無事、迎えることが出来そうです。・・・住職。 
:追伸:5,11,20朝9:00

佐久間畳店のお仕事により、畳が新調されました。

   





◎2019年房総半島を襲った台風被害についての記録。



◎屋根修理に向けて、足場のセッティング組み終える。 2,3,31

   
本堂向かって右側。車庫の中まで足場が組んであります。   正面左側。正面から南側にかけてぐるっと足場が組まれております。
   
東側から南側にかけての様子。   先日の大風であおられてたるんでしまったブルーシートを監督さんが改めて、止め直してくれているの図。
   
東側全体図。   南側から東側全体図。
   
東側の足場。下からの写真。   南側足場。下からの写真。どうぞお参りの際には、お気をつけてお参りを。お檀家様のご協力・ご理解に感謝致します。・・・・住職。
   
   


◎(株)カナメ手塚様より連絡あり、
 
 瓦屋さん【アスカ工業】が作業に来てくださいました。

ゴールデンウイークをまたいで作業をして下さるとのこと

です。・・・・住職。








・さっそく、馬の背1本4月27日(月)に載せて頂きました。



・28日(火)2日目の様子。

   
半年以上ぶりにこの部分に瓦が載りました。色の違いでおわかりかと思います。   馬の背に合わせ、カットしながら馬の背を作るところに粘土状の物を載せ、土台を作っていきます。
   
そして天狗鼻を下で留め、上に向かって1段目をこのように置いていきます。  途中、ボルトが何本かあります。それで今後、瓦を重ねて載せていくようです。 
   
左官の仕事と瓦のカットなど、細かい作業がたくさんあり、朝8時前から、夕方4時30分まで長時間の作業をお二人で頑張って行って下さいました。  今回は、ここまで終了。この部分を29日と30日の合計4日間で仕上げていく予定だそうです。他の場所については、ゴールデンウイーク明けに行っていく予定となっています。・・・住職。 


・29日(水)3日目の様子

   
 昨日、1段目が積んであるところがこのように仕上がりました。  下から見上げると、こんな感じです。
   
途中にある天狗鼻。   真横からもりっぱに立っています。
   
 平瓦と馬の背のつながりもバッチリ。  東側の馬の背は、古い瓦を使い、南側は、このようにあたらいい瓦を使うことで見た目のバランスも考えて載せてくれています。
   
 こちらは、西側の馬の背。古い瓦を外し、新しい瓦に既に変えてくれています。  拡大するとこの通り。あと1日明日、お世話になります。・・・住職。


・30日(木)前半最終日の様子


   
昨日、積んであったところに更に半円形の瓦を積んでいきましてこの通り、鬼瓦に通じるところまで出来上がりました。(東側から見る。)  向きを南側から見るとこんな感じです。 
   
鬼瓦をつける部分。   拡大写真。
   
 北側の先端部分は、ゴールデンウイーク明け後半から作業に入る予定です。おそらく、11日頃からか?  出来上がった「いらかの波」


・5月11日【月】の様子


   
先日載せていた馬の背をもう一度分解し、新しい物と同じように再度平瓦も整えてから丁寧に馬の背の土台を作り始めました。   木の枠組みで足場を作りこのように屋根の天辺近くでこの日、28度以上の日差しの中で作業をして下さいました。
   
   
   
最後に正面側にも足場を作り、この日の作業は終了しました。明日はまた、この続きをするそうです。  翌12日(火)13日(水)14日(木)の3日間の作業でようやく二本目の馬の背が完成。あとは、鬼瓦を15日(金)に載せる準備をするだけです。 

◎『鬼瓦』完成 2.5.15

   
重さ20kgぐらいある『鬼瓦』。堂内に私が運び込み、本日屋根に取り付けてもらう前に『魂入れ』のお祓い並びに法要を致しました。  洒水加持(しゃすいかじ)をする。 
   
これから2度とこのようなことのないようにまた、これからもお寺を守って頂けるように渾身の想いを込め、祈祷する。  載せる前の鬼瓦。奈良県の桜井市で焼いてもらったのだそう。
   
裏を見ることは、まず、あり得ない貴重な写真。彼は、ずっと仕事をして下さっている職人さん。この重い物を持って屋根のてっぺんまで登って作業をするのです。落としたり、ミスがあってはならない大変な仕事です。気をつけてお願いしますね。   鬼瓦を包んであった布シート。記号は、『尺3』これは、瓦の大きさを表す。1尺3寸。『経巻』は鬼瓦の形を表すのだそう。専門家には、形を見ただけでどんな鬼瓦なのかがわかるのですね。
   
いよいよ取り付け。はしごと足場を登り、屋根瓦を背負って登り、土台となる場所を固め、天辺の瓦を一度載せるために外します。  それから鬼瓦を取り付け始めます。取り付け終わったら、また元の通りに天辺の瓦を組み直します。 
   
写真でお見せするとあっという間なのですが、かなりの細かい重い作業。   平瓦も整えられ馬の背に支えられ、見事に鬼瓦が鎮座致しました。来週は、いよいよ残りの部分と正面から右の部分の作業になります。・・・住職。

・2,6,4 今まで、更新しなかった部分を含めて。三本目の馬の背から「谷」の修繕へ。

   
馬の背の二本を終え、三本目の作業が始まった。   瓦を降ろし、基礎となる部分を作り始める。あとは、一,二本目と同じ手順でやるのだが、ここは載っていた瓦でやるためにボルトでなく、針金止めとなる。
   
ただ、きちんと漆喰で固めていってくれたことで、以前のような不安定さはなく、しっかりと止められている。  鬼瓦の所まできちんと止められている。このような足場を屋根に作らないと、とても重い瓦などを持っての作業は出来ないのである。 
   
三本目も完成した。   次に瓦からの雨を受ける、『谷」の修繕。これがくせ者で、瓦をめくってみると本来なら棟の工事まで全部やった方が良いくらい痛んでいる。しかし、保険適用の工事は「以前の復旧」という条件付きなので穴の空いたところは、直しながらの板金修繕となる。
   
この部分の瓦がめくれたために、痛んだところからも大量の泥と雨が本堂に落ちたらしい。  ゴールデンウイーク前から始まった工事も終盤を迎えている。所々、杉皮が破れ、このように穴が空いている。 
   
これは、左側で最初に終わった「谷」。   瓦をめくったことで出た泥や汚れをブロワーで飛ばす。
 
6月4日の夕方の状態。   最終日、6月6日【土】の状態。片付けもほぼ完了した。











◎本山より内局 久保田財務部長 台風15号による災害お見舞いに来院す。 令和元年10月25日(金)

   
 正面久保田財務部長、右奥大槻書記、私、義輝、手前竹内総代。  大雨の中来院し、その後本堂にてご挨拶の読経をして下さった。
   
左、第三教区長小林師。左奥、全青年会長渡邉師。  お見舞いの灯明料を頂戴し、台風15号の時のことを説明する。 
   
 また、19号と引き続き被害に遭ったこと、(株)カナメがすぐに対応してくれたことなどをお話しする。  お閻魔様にご挨拶の後、次のお寺に移動する。約30分の滞在であった。





◎(株)カナメ応急処置のため来院。令和元年10月17日(木)

   
10月5日(土)に3回目に来てくださった業者さん。   瓦を手にして来院、初めてはめて頂くことが出来ました。
   
ただし、サイズが合わないことから、カットしてはめていくことになります。   北西側馬の背に丁寧にゴムシートを貼っていく。この上に更に重ねて飛ばないようにはがれないように重ねてはっていってくださいました。
   
正面瓦屋根。ブルーシートで留められていた場所にも瓦を敷いていく。   台風19号で南東がわ馬の背を大きくはがされてしまった場所。17日(木)の再来院して今度は、鬼瓦から平瓦、馬の背の処置をしていって下さった。
   
 落ちた鬼瓦。  馬の背途中の天狗の鼻。
   
とにかく、角度が急なことと足場が悪いことこの上ない。   落ちた平瓦を丁寧に揃えて出来た三角形。細かく見ると、瓦の下には、泥、その下には、杉皮が敷かれて横板角材で留められていることが見える。
   
痛んだ杉皮を角材を使って金槌で釘を打ち止めている。  これが持参してくれた角材。ホームページを見て下さり、材料を用意してくれたとの由。有り難い。・・・・住職。 




・急報:台風19号による被害状況。(その3)10/16昼。

   
19号が来た翌日から3日たった。まわりの様子を見ながら片付けが終わり、改めて屋根を確認したところ、以前より平瓦が周りに落ちており、土砂の流出が顕著であった。   早速カメラを持ち出し、写真に収めると、東側瓦の何カ所か壊れているところより、水が入り込んで浮いた感じがあるのと、天辺鬼瓦が落ちたことにより、そこから土砂が流出している様子が見られた。また、そのことにより、更に平瓦の何枚かが下に落ちてしまっている観がある。
   
 鬼瓦を留めてあったところが浮いてしまったように空間が増えている。  南側からも同じように空間が増えてしまったように見える。また、平瓦も前回より1.5倍程度落ちてしまったように見える。
   
 棟もいまだに濡れているように見える。あながあいていなければよいが、、、。  馬の背に途中で止まっている平瓦。いつ落ちても不思議でない感じ。
 追記: 先日ご迷惑をかけてしまったお檀家様の灯籠は既に、庄司石材店様により復旧している。更に倒れていた掲示板についても庄司石材店により、元通りに直して頂いた。感謝である。・・・住職。





・急報:台風19号による被害状況。(その2)10/13早朝。

   
朝日を受ける「吉祥院」本堂全景。掲示板は大きく傾き、ペットボトルなどのゴミが散乱している。   今回、庫裡については被害の追加は見られなかった。良かった。
   
本堂てっぺんの鬼瓦のとれた箇所。   馬の背の脇の平瓦も落とされ、土砂も棟板もあらわになってしまっている。
   
落ちて破損してしまった鬼瓦。   ゴムシートは、落ちた瓦の中に埋もれてしまっている。
   
南側から、今回瓦の落ちた部分を全体写真。   角度を変えて。




・急報:台風19号による被害状況。(その1)10/12未明現在。

   
南側馬の背の瓦がすべて落下してしまいました。鬼瓦もすべてです。先日、ゴムシートで止めて頂いた部分も飛ばされてしまいました。   きれいに無くなってしまった馬の背の部分。
   
 ご迷惑をかけてしまったお檀家様の墓石。灯籠部分が落ちてしまった。  庄司石材店に依頼して、灯籠部分を後日、接着してもらう予定。落ちた部分については、既に瓦を払い、載せてあります。明朝、寺の周りを片付けながら、詳しく、被害状況を調査する予定。・・・・住職。





◎自衛隊緊急災害派遣 令和元年10月6日【日】

・10月4日(金)夕刻、「上総第三教区檀信徒推進会議」を終え、自坊に帰ったときに入り口に自衛隊車両があったため、

どうしたのか訪ねたところ、「近隣の被害に遭われたお宅の屋根修理に来た」とのことだったのでそのお宅を訪ねたところ、

檀信徒「Oさん」宅であった。お話をし、その様子を写真に収めさせてもらった。

   
 吉祥院駐車場入り口。女性隊員の運転するジープ。  資材と人員は、このトラックにて来院した。
   
 被災者。檀信徒「Oさん」。お一人で普段は住んでいらっしゃる。  消防隊員も現地案内のため来てくれていた。
   
屋根の瓦が飛ばされたのは吉祥院と同じ。敷地内で家は、吉祥院と隣接している。   こんな高所では、一般の人がブルーシートをかけるのは無理。しかも飛ばないように土嚢を置くことは、危険すぎる。






◎台風15号の上総第三教区の被害【本院を含む。】実態について:令和元年10月5日【土】現在。


・9月9日早朝、本堂を持ち上げられるような感覚で風が吹き、雨がたたきつけて降っていた。

女房の「本堂で雨が降っている。」声でおそるおそる本堂に行ってみると、

内陣が雨漏りというのでなく、ザアザア泥と雨とが入り交じり落ちている状態。

その時にはまだ、午前3時30分で停電も起こっていなかった。堂内の雨漏りする様子を携帯で写真に収める。

その30分後、突然、停電が起きた。薄明るくなった午前4時30分過ぎに、雨が降る中、外に出てみると、

本堂の周りは、めちゃくちゃ。ガレージの屋根は跳び、庫裡のガラスは割れ、庫裡の屋根柱は落ち、

本堂の周りは落ちた瓦とそれを留めてあった田んぼの泥で四方八方に飛び散っている。

その量足るやかなりの量。おそるおそる屋根を見ると、本堂正面の瓦は「への字」になくなり、その下の板も

飛んで落ちている。これでは内陣に泥水のシャワーが降るわけだ。

通称「馬の背」といわれる本堂屋根を四方で支える役目をしている瓦が何重にも重ねられそり上がった部分は、

原形をとどめず、平らになって、3方がほとんど落ち、泥が流出している。

境内にある「今月お言葉」の掲示板は、アルミの足が根本から曲がり、

ガレージの屋根と銀杏の木にもたれかかって倒れている。

境内のベンチなどは、ガリバーのの巨人にに放り投げられたように転がっている。

気づけば、雨が上がり、落ち着いたところで、墓に回ると、お檀家様の墓の上には、落ちた瓦で埋もれているが、

周りの樹木を「護持会」に剪定して頂いていたおかげで、大きな損傷は墓にはなかったようだ。

それだけはこの後、彼岸を迎える寺にとって救いであった。

檀家の大工に電話をかけるがなかなかつながらず、瓦屋も電話がつながらず、何度かかける内に大工の奥様に

電話がつながるが、内も停電でシャッターが上がらないので、車が出次第、来院して下さる旨、返事を頂く。

9時過ぎに本山に「上総第三教区は、台風で大変なことになっている」旨、連絡第1報を伝える。

その後大工が来てくれるが、「これは、俺では立ちゆかない。大手の所に連絡をした方が良い。瓦屋も

捕まらない。」と言われ、10年前に本堂内を調査して頂いた【株】カナメに連絡する。現在に至る。


◎台風15号の後、(株)カナメの屋根屋さんに応急処置をして頂いたのですが、

台風17号崩れの低気圧の大風によってまた更に屋根の破壊、シートが飛ばされ、

瓦も落ち、しかもその下の棟板もあらわになりました。漆喰も落ち

飛散してしまいました。





   
漆喰が落ちて抜けてしまった箇所。   馬の背の三方の内唯一残っているところも、このようにめくれてしまっています。
   
落ちたゴムシート。   接着剤も落ち、このようにシートは落下してしまった。
   
あらわになった馬の背。更に、土も大きくそがれ、瓦が更に落下した。前回の台風で棟落ちしたところの棟板。かなり長いものである。現在、この部分は、瓦を移動して、本堂の中心をブルーシートで泊めてもらってあるが、先日の雨では、まだ、雨漏りしており、一部の畳を濡らしている。【9月23日現在】住職。   


◎その後、10月2日に【水】に再び、【株】カナメの星 所長様来院し、作業員に指示し、補修してもらうも、

再び、4日朝、シートめくれを発見する。

5日【水】午前中に再来院する旨、連絡あり安堵する。


   



◎下の写真は、携帯で9日早朝に記録した写真の一部である。
















◎自坊の停電が解消した12日、シャッターが開いたので車庫からスーパーカブを出し、近隣の寺院

のことが気になり、息子と二人で走った。

自坊の木更津市中島から、袖ケ浦市内に入る。電気はまだ、来ていないところも有り、

信号もついていないところがほとんどである。飯富にある渡邉住職の寺を訪ねると

寺の本堂は、雨が入りビシャビシャになり、それよりも本堂脇の山の樹木が倒れ、参道にある墓がメチャクチャ

になっているところを重機を使って本人が片付けている最中にお邪魔した。技ありですごい!!ただし、

かなりの量でこれを片付けるには、停電中でも有り大変なこと。

いつも随喜をお願いしている横田の三浦住職の寺を訪ねると、本人はお留守でしたが、

境内の樹木が覆い被さるように倒れ、無残な姿に銘木がなっていた。

その後、君津市を通り、鹿野山(第2教区)経由で富津市竹岡【第1教区】にある自分が育った寺「延命寺」をめざす。

その途中はかなりひどく、君津市大野台という県道は山の斜面に沿った道で電柱がたくさんの樹木と絡み合い、

車が通れる状態でないが作業員と車七台で復旧をするべく格闘していた。バイクでその脇を通らしてもらい、

鹿野山に行こうとしたが、通行止め。仕方なく、鹿野山のよこにある国道465号線を行く。環小学校で

持って行ったおにぎりを食し、もちろんスーパーも自動販売機も動いていない。ペットボトルを持って行って

正解だった。その先の上総湊の町も竹岡の待ちもすべてブルーシートの嵐である。


   
竹岡の町。海側から山側へ写真2枚続いてとった。ご覧の通り、ブルーシートだらけであるが、この時点でブルーシートが間に合っていない家屋もたくさんあった。延命寺は、破壊されていない模様。   
   
代々先師尊霊の墓。この後、息子と2日後に車で出直し、チェーンソウで周りの竹を20本程度きり、倒れた代々先師の墓を元通りに戻した。  こちらの墓については、竹を切って片付けただけで石屋の手を借りてもらわなければ、我々では無理だった。







「本堂床下工事」25年2月25日(月)完成致しました。

   
 25,2,18(月)本堂の仏具を移動し、畳を上げる。  このように、下板が割れていたり、虫に食われた松板が多数あった。
   
 板を外すと基礎が出現。  現場あわせのものなので、このような名人技がみられる。
   
今回も、閻魔様の時のように、墓石が出現。   墓石に「法師」の文字があるので、お坊さんの石であることがわかった。今回の石と前回の阿弥陀如来の安置した場所の隣に安置する。
   
 正面をブルーシートで隠し、埃の侵入を防ぐ。  床下にさらに沈まないように基礎を置き、補強をこれからしていく作業をする。
   
 床下の梁に補強の支えを写真のように組んでいく。  
   
 内陣の下を正面から。  床板をその上に張っていく。(本日ここまで。)
   
25,2,19(火)今朝は朝から冷たい雨が降っていたが、途中から雪交じりになり、とうとう粉雪に変わるほど、寒い一日となった。頭領は職人さんと二人で、本堂中央の板張りに取りかかった。
 
中央に桟を張った後、合板をその上に貼りにかかった。 
   
一方、職人さんは、廊下の板のの取り外しにかかった。外してみるとこの通り。   本堂と同じように、梁の下に補助の桟を渡し、補強した。
   
合板を張り終えた後、鏡板の貼り付けにかかる。  廊下の下の補強部分の写真その2. 
   
 午後、用事から帰るとすでに敷居は新しいものに変更され、元通りになっていた。  本堂中央の鏡板もほとんど完成していた。(本日ここまで)
   
今朝、できあがった鏡の部分に、仮に仏具を
置いて朝のお勤めをした。本日昼間、畳屋さん
が入り、寸法を計測予定。大工仕事は昨日で
終わったのである。畳が出来上がってくれば
はめこみ、すべて終了となる。25,2,20住職。 
 木更津市内の岩崎畳店。本堂廊下の畳も前回お世話になりました。今回は、本堂内陣と正面廊下の畳を作っていただきます。とくに内陣は、鏡を作ったので、サイズ(丈)が140cmだったり、江戸間幅(大)だったり、小幅のものがあったりと結構寸法がいろいろと分かれていて作る立場としては面倒だったと思います。
 
ちょっと他にはないサイズの畳です。   畳をそらせ、足で踏んではめ込みます。
   
本堂正面の廊下も畳が入りました。   本堂内陣の様子。緋毛氈も敷かれ明日の法事の準備も無事、整いました。、







◎吉祥院「回廊の天井」の修繕

24年3月より4月にかけて


本堂を上がってすぐの廊下の天井がだいぶ痛んできましたので、吉祥院「護持会」がご心配をしてくれて、改修の手はずとなりました。全部で13間の長さがあり、写真のように鍵の地に曲がっております。

   
   
また、正面には欄間がありこれもだいぶ痛んでいるので、ここも改修する予定で、完成後には喜光院壇徒の永嶌弘子氏にお願いし、写仏画を寄贈していただくお願いをしてあります。
   

・工事は、いつもお世話になっている武内建築設計事務所にお願いし、3月中旬頃から工事を開始し、法事の合間を縫って、4月上旬には、完成の予定です。また、その工事が落ち着いたら、境内に古塔婆のお焚き上げをする場所を作り、ご祈祷、ご祈願ができるようにして差し上げる予定です。・・・・住職。

24,3,12工事開始。
   
 早朝、いよいよ養生をして埃が本堂内陣に入らないようにして工事始まりました。  
   
 内部の様子がだいぶ見えるようになりました。  完全に取り払われたあと。四角い穴が規則正しく開いた板が現れました。これは、昔、2本の間に板を通して天井裏に登るはしごにしていたものとのこと。
   
 細かく見ていくと、瓦の下の木皮に穴が開いているところがいくつも発見。ネズミが昔食ったあとだろう、また、屋根瓦をなおした先代の時に、シートが敷いてあるから雨漏りすることはない、とのこと。  斜めの材木は、突き出しの屋根柱。今後、3月21日から、工事は再開の予定。・・・・・住職。
   
 3月21日いよいよ木枠の取り付け工事が始まる。  船をちょうど造るときと同じように縦横の骨組みを1本1本はめ込んでいくのだ。
   
 文化13年。ちょうど、200年も前の回廊なので、当然現場あわせの寸法となる。工場であらかじめ切ってきたものを現場で細かな寸法にあわせながら組んでいく。  いつもお世話になっている、(有)武内建築設計工房。今回は「吉祥院護持会」の発注だが、お金はある時払いでお願いしている。そのためだけの寄付があればよいのだが、出来るだけ、お檀家さんに負担がないように、護持会費を使い、何回かに分けて、支払いすることになっている。ありがたいことです。安いだけではダメで、「良い仕事」をしていただく事が大切だ、と感じ仕事を行ってくださります。そうでないと、また、直さなければならなくなってしまうから。昨年は、お閻魔様の部屋の修繕をしていただいたおかげで、あの東日本大震災の「5強」の揺れにも、何とか持ってくれました。ありがたいことです。
   
 枠組みが完成したあと、22日、本日は、いよいよ四角い板を1枚1枚、内側から、釘で打ち込みます。  それは、それは、細かい仕事。
   
 長い長い廊下ですので、すべて仕上がるのは、あと4日ほどかかる予定です。法事がその間あるので、その日は仕事が半日しかできない日もあります。  木目が1枚1枚違うことがわかるでしょう。
   
 この欄間は外して板を張ってもらい、ちぎり絵、もしくは、仏画を奉納していただき、収まることが決まっています。永嶌弘子氏と25日(日)に打ち合わせの予定です。氏は、上野の森美術館にて、4月20日(金)より「ちぎり絵」展に作品を展示予定で、今年は努力賞をいただいてる由。楽しみです。・・・・住職。  24日(土)欄間がいよいよ取り外された。
   
 内側から写すとこれだけ、壁に隙間があり、後日、左官屋さんが来て、埋める手はずである。  表からだと、柱に今までかかっていた日露戦争の戦利品である大砲の弾がなくなり。これだけのスペースが出来る。ここに、永嶌氏から寄贈していただいた作品を掲示していく予定である。
   
 たくさんの作品を持ってきていただいた中から、この3点を選ばせていただいた。  蓮の花。20号。「ちぎり絵」の作品である。
   
 「聖観世音菩薩」30号変形。  「地蔵菩薩」20号。水曜日以降、頭領にお願いして、掲げていく予定です。・・・住職。
   
 このように、すべて天井の張り替えは終了し、明かりも取り付けられた。  正面は、左官屋の作業がまだなので、3月31日現在、まだ、絵は取り付けられていない。・・・・・住職。
 
  24,4,4齊藤左官さん来院し、壁塗りが始まりました  下塗りを終えた状態
   
   4月5日(木)左官屋さん2日目。漆喰の上塗りが完成し、昨日の状態よりさらに白く仕上がる。上左側が正面表。上右側が中側の様子である。また、工事の関係で彼岸中より表に出してあった賽銭箱が、やっと本堂の中のいつもの場所に収まった。あとは、漆喰が乾くのを待ってから、頭領に、絵を掛けてもらう予定である。・・・・・住職。
   
   4月9日(月)息子の入学式の日に、頭領が来院、急遽、絵を掲げてくれることになった。また、今まで正面にあった「日露戦争」の戦利品の「大砲の弾」と賞状は、客間(閻魔の前の部屋)に掲げてもらうことにした。
   
   大工さんに過去に寄付していただいた、札を移動し取り付けていただく。
   
 正面から見た図。  ご本尊「毘沙門天」の宝物を持った手より、五色の糸が放射状に広がり、お外の御手綱につながってまいります。細い糸から太い糸に奉納絵画の祈念に変えさせていただきました。・・・・・住職。
   
   





◎震災で開いてしまった「梁(はり)」を補強する。23,7,20

   
   
 実はこれ、本堂の内陣から入り口の廊下まで1本の金具で梁の柱と柱の間が開いてしまった部分を締め直すための長い長いボルトなのです。  
   
 締めてなおした後に、大工さんによってこのように木の柱をさらにかぶせて補強していただきました。今後、また、地震が来ても、大事にならないように。  また、こちらは本堂脇室の閻魔様と対峙する部分の梁。本堂と隣り合わせですのでこちらもこのように太い梁をたして補強しています。片方をやるよりも、隣同士で補強し合うことで強度をさらに増すことをねらっています。・・・・・・住職。
   




◎吉祥院本堂脇室「閻魔」初釜の様子


   
 表参道からの『山門前』と  『裏参道入り口』及び、『門柱前』に「東清」花店からのご厚意で、立て看板を設置させていただきました。
   
 本堂正面にこのように閻魔様の方を向いて椅子が並べられたのは、初めてです。いつも使っているざる鐘、導師机は襖の方に片付けてあります。  ここに願い事を書いた護摩木は、『壇木』として、明日、お炊きあげされていきます。
   
 横から見るとこの通り、50人ほど椅子席を用意させていただきました。  当日は、来た人から順々にお座りいただきました。護時会からは、生花の奉納があり、このように飾らせていただきました。
   
   
 いよいよ、お護摩が始まります。義輝を先導に、喜光院住職中村氏、私が続きます。  皆さまにご挨拶。当日は、30名弱の方々がお見えになりました。
   
 「表白文」を読み上げます。  「観音経」の読経の中、印を結び所作をします。
   
 いよいよ、お護摩に点火。火がめらめらと燃え上がります。  護摩札は全部で41本。5本ずつ手に持ち、火であぶり、祈祷していきます。
 
 ちなみに、これだけ火が上がっていると結構、暑いです。  皆さまの願いを書いた、護摩木をくべていきます。
   時間は、トータルで35分くらい。このあと皆さまに祈祷を終えた護摩札をお配りして、解散いたしました。・・・・住職。



◎門標、四けつ、壇線がそろいました。23,5,12
   
いつもの大工さん。頭領が作ってくれた門票と壇の角に入れる四けつを壇に合わせて調整してくれています。  座布団の上にあるのが「四けつ」。「けつ」の字は常用漢字にないのでひらがなで。用はこの棒で結界を作るのです。
   
 これが、頭領が作ってくれた「門標」。写真だけだと楊枝みたいですね。実際の長さは75cm、太さは5cmくらいです。  ケヤキ壇にケヤキの台座をつけて四けつをネジで取り付ける。
   
   
   
 門標と四けつに壇線を巻き付ける  これで完成。この座布団に座り、護摩を焚くのである。23,5,12・・・・住職。

◎お閻魔様前の部屋修繕 22,7,31

皆様が法事の時にお座りになる畳。その下はこのように、場所によっては、抜けておりました。 こちらは昔、ふすまがあった敷居の下。その下は、ぐらぐらでありました。
写真上の板は、昔回廊だったために松の板、下は畳の間だったために杉板が使われております。 しかし、ご覧の通り、ずれていたり、板がゆがんでおりました。
今回、痛んでいるところは直し、現在、ふすま等は使っていないので、ご覧の通り、敷居は檜の板に新たに変更いたしました。。 ご覧の通り、お閻魔様の前の部屋は美しく変貌いたしました。ぐらつきもほとんどありません。22,7,31








◎壇信徒トイレ「うすさま明王堂」建立まで21,10,24

本堂から中廊下へ続く床が抜けてグラグラだったので、半分を板の間に、半分をたたみ床に代えさせていただきました。 板の間の上の壁には、大工の棟梁に依頼してあるのですが、寄進者名簿の板をかける予定です。この道を通って「壇信徒用トイレ」に行くのです。下の写真、いよいよ本日10月27日、壇信徒用トイレの基礎工事が始まりました。・・・・・住職。
21年11月7日(土)いよいよ柱を立て始める。 木曽檜(ひのき)100年もの4本とその他は紀州産檜40年ものである。
なめらかなこの柱が木曽檜である。 たった1日でここまで仕上がった。

○開眼法要・落慶式につきましては、平成21年12月19日(土)14時より行いました。使用につきましては、友引を含めまして、お寺のお休みの日以外の朝6時より、午後5時まで(季節により、時間の前後あり)とさせていただきます。もちろん、おたばこ等、火気厳禁となります。
木曽檜(ひのき)100年ものの柱4本と紀州檜40年ものの柱を使って建てられています。大工の棟梁が、本堂を修繕してもこの建物が残るよう考えて作ってくれています。 吸音材と檜の板で内装張りをしてあり、まるで中にはいると森林浴をしているような気持ちよさです。これからいつもお世話になっている、私の教え子のお父さんの左官屋さんがタイル等を貼っていってくれる予定です。
「蔵創り」をイメージしてもらい、外壁は上部と下部を素材を変えて貼っていってもらっています。また、隣の写真は、内部(作業途中)の様子です。・・・・・21,11,18
「うすさま明王堂」に収まる中国現地で製作させた「うすさま明王」 「うすさま明王」が収まる厨子を大工の棟梁が作ってきてくれました。
トイレに収まる便器や洗面台もいよいよ搬入されました。21,11,19 今日は、左官屋さんが来て、壁の基礎塗りをしてくれました。21,11,23
上塗り完了。きれいになりました。 雨が降っても、本堂から濡れないで行けるように、アプローチを設置いたしました。
男子便器付近は、立ち位置がわかるように黒御影石にしてもらった。 男子便器より、女子トイレに向かった様子。21,11,27
アプローチの下をコンクリできれいにしてもらいました。月曜日まで通行止めです。 「うすさま明王」が木箱につめられ、おがくずで大事に大事に入れられて吉祥院にやってきました。
そっと木箱から取り出しました。大丈夫、欠けているところはありません。 厨子に入れ、とりあえず、本堂に仮安置しました。21,11,28
基礎工事完了。外のコンクリートのたたきが完成しました。二人が立っているところから緩やかなスロープとなっています。「うすさま明王堂」には、アプローチがあるので濡れないで入ることができます。彼は、高浦さんと言って、基礎工事のの職人さん(専務さん)です。彼女募集中(!?)です。約1ヶ月間まじめでよい仕事をしてくださりました。21,11,30 今日は石井タイル屋さんが来て、男子便器の壁のタイルを貼っていってくださりました。淡いベージュにグリーンの花タイルの帯が1列のものです。お陰様で、幸せそうな気分のものに仕上がりました。21,12,1
答えは男子の小便器の下の配管の穴なのです。便器を載せてしまうともう二度と見えなくなってしまうものなのです。おわかりいただけましたか。下は女子トイレ(男子大便用も兼ねる)には、ボタンを押すと水の音が流れる音が聞こえる音響効果もつけさせていただきました。右下は、手を洗った後に乾かすジェットタオルです。洗面所は、シャンプーができそうなくらい立派なもの。この後、建具屋さんが男子便器との仕切り板をつけた後、鏡と共に、正式に設置していきます。21,12,5
「うすさま明王」も安置いたしました。 場所は、入り口正面の左側です。21,12,5
男子小便器との境の仕切りも設置し、洗面台も正式に取り付けることができました。 洗面所の鏡は、化粧を直すこともできるように、両側が稼働する三面鏡となっています。
男子用便器の上の照明は、直接光が当たらないように間接照明とすることで光の優しさを醸し出せるようにしました。なおかつスペース全体をも照らし出せるようなものを選びました。 女子トイレのスペースも狭いながらも間接照明を採用しました。
女子トイレ(男子大便用も兼ねる)のドアも檜を採用し、力のない方でも開け閉めしやすいようにハンドル式のドアノブを採用してあります。 水は温水になりませんが、手に優しくあたるシャワー式を採用しています。もちろん、力がない方でも楽に蛇口を開け閉めができる、レバーを上下するタイプを採用してます。
後日、取り付ける予定の看板(欅製)です。 本堂の「トイレへの道」に掲げられた一万円以上の御寄進を頂いた方々の名札。まだ、書いている途中ですので。これはまだ、その一部です。・・・・・21,12,7
看板と御真言の板、お賽銭がつけられました。 本番前に記念写真。21,12,14

◎「うすさま明王堂」開眼・落慶式。21,12,19


上は正面より、下は椅子席の様子。 上は横からの様子、下は電気カーペット席。
今回も「森花」の生け花をお願いしました。 正面の山門から。
裏門からの看板。 吉祥院「護持会」より生花1対を用意していただいた。
吉祥院「護持会」世話人のみなさん。 親族代表:神奈川より、女房殿の両親にも来ていただいた。
先に、うすさま明王堂の開眼から、僧侶の後一番最後に導師(私)が入場。残念ながら私は、お堂の中で所作をしているので写真には写っておりません。外では錫状を使って護真言等を僧侶のみなさんが、唱えてくださっています。 お堂前で記念写真の後、本堂に移り、本尊「毘沙門天」に「うすさま明王堂」が開眼をしたことのご報告の法要を行います。私は一番高い場所にある、密壇前の導師席に座します。
会計の粕谷さん始め、皆うれしそうに世話人さん方も列席しています。 受付では、副会長の竹内さんが「引き出物」と「祈念散華」をお渡しする係を寒い中していただきました。
私の足下を注目。葬儀の時にはつけない、袴を着用しています。それと畳の上には、特別なお祝いの時にしか蒔かない、「散華」が散らされてあります。
いろいろな絵柄のものがあるのです。 裏には、この様な文字が特別に印刷していただいております。頂いた場合は、額に入れて飾るとか、財布やバッグに入れて、お持ちいただき、幸せを呼ぶとされています。21,12,20

最後に、参加者全員で記念写真を撮らせていただきました。







 本堂周りの側壁改修工事



☆吉祥院東側改修工事、始まる。
 
  H20.5.27
古いトタン板をはがすと、今では珍しい竹と土わらの塗り壁が現れた。おそらく、雨風を防ぐ目的で、あとから改修した物と思われる。 下の方に目をやると、普通よく目にする、軒下が現れた。軒下の上部は、あとから、板と土壁を作り、はめ込んだ物と思われる。おそらく、一番最初は、このあたりは回廊となっていた物と考えられる。
サッシの前は、障子と雨戸だったが、それもあとから付け加えられた物であろう。 防犯灯が外せないので、丁寧にトタンをはいでいく。
土壁がここにもそのままの形で見える。この上には、後日、左官屋に白壁に仕上げてもらう予定。 床下の様子。今回は、石仏は出なかった。
今回、初めて気づいた南側中央の柱。虫が食ってぼろぼろの状態。力がかかり、すでに折れてしまっている。 横から見るとこの状態。
トタンで隠れているので、足下を気にかければわかるのだが、気にしないと見逃してしまう。 建物の両サイドは、柱を新しく1本ずつしょわせるので問題ないが、この部分は、ジャッキを使って全体をあげなければならず、ちょっと大変なようなので思案中。
雨戸の部分も相当の年月の経過で痛みが激しく、戸袋は何年か前に新しくなってはいるが、内側の木材は、ぼろぼろであった。 手前の金属の棚は、バケツ台で、コンクリに直接取り込めてある為に移動ができず、狭い中での作業となっている。平成20年5月27日(水)10:25現在。
一通り、古い桟もはがしたあと、新しく組んでいく。そこには、もちろん水平器が必要になってくる。 土壁も今まで同様に生かして組んでいく。
全体の様子。ここに板をこれから張り付けていく予定。 雨戸の上にも水切りように小屋根をつける。5.27.(水)16:00住職
反対側もこの通りにきれいになりました。 崩れていたわら土葺きももう、見えません。
本堂裏手の背骨の部分の柱。まずは、ジャッキで柱を支えてから、崩れてしまった部分を切り取り、新しい柱を固定して抱かせていきます。 雨戸の戸袋もこんなにきれいになりました。


「お閻魔様」脇室の物置の修理
20,11,24
「今月の言葉」というわけではないのですが、閻魔様脇の物置の改修を始めました。以前にも書きましたが、このお寺は、何度か改修をしながら進化しているお寺で、以前は回廊だったところを壁で区切ったり、棚をつけるなどして、中廊下にしてあったり、部屋や物置にしてあるようです。 床板やねだも抜け落ちてしまっているので、閻魔様の部屋と同じように、「檜舞台」という板を使って、これからきれいに仕上げていってもらう予定です。この中には、火鉢や古太鼓がありましたが、古太鼓の腹はひび割れがかなりあったので、思い切って修理をあきらめました。大工の棟梁の手元に行って何某か別のものに、生まれ変わることになります。
この部屋は、これから、キャスター付きで箱を作ってもらい、体育館の椅子を出し入れするような感じで、年寄りでも楽に道具をしまうことや出すことができるように押し入れを改造します。夏に使う扇風機や椅子、経机など、たくさんのものが収納できるようになります。

11月下旬に、この様に無事完成いたしました。 閻魔様のお部屋と同じ素材の檜を使っているのですが、重いキャスター付きの箱車が出入りしますので、上の写真のように、2枚の板をキャスターの来るところに線路のように引いて使用します。
上の写真がそれを出した状態です。重さがあるので、床の柔らかい檜の板が、へこまない工夫がしてあるのです。 「阿字観」や会議の時に使用する。経机も20購入させていただきました。今までのように重くないので、出し入れしやすく使いやすくなっております。素材は桐です。
建具屋に依頼していたふすまが完成しました。最近の建具は、戸車つきなので、よく動きます。また、ふすま紙は、本堂と同様に「江戸小紋桜」にしてあります。・・・・・・20,12,27 住職。




 H19.7.27吉祥院南側改修工事
トタンも内側の板もボロボロであった。 隣の墓地も迷惑そう・・・。
軒下もこの有様であった。 以前使っていた何の変哲もない蛇口。これがもっと使い勝手のよいものに・・・・。
それがこのようにきれいになりました。 内側もこのように、板で補強していただきました。
トタン屋根にはカラスのあけた穴が・・・。 穴が空いたところを上から張り直すことにしました。

 

東側蛇口は、自分で新品に交換しました。 「キレイキレイ」よかったら使ってくださいね。
蚊が多い季節には、本堂前に「キンカン」も用意します。 南側の水道工事がいよいよ始まりました。
地面をほじくって水道管をつなげ、保護カバーを巻いていく。結構面倒くさそうな仕事です。 お陰様で、蛇口も二つ付きました。現在は、短めのホースもつけてあります。あまった塩ビ管でお花を飾れるようにして頂きました。

桶は、使っていただいて初めて供養となります。 どの桶を使ってもよいのです。片づけもこのようにお願いします。
『枯れた草花やごみは各自でゴミ袋に入れてお持ち帰り下さい。』の看板です。 全体はこのようになりました。みんなで仲良く使ってくださいね。19.7.27・・・住職